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HSPの薬

 私はHSP(Highly Sensitive Person : ひといちばい繊細な人) だ。それを知ったのは45歳の時。それまでの私の苦労を思い返すと、私はいわゆる「気にしい」で「ヘコみやすく」「人が痛くても痛い」性質。子どもの頃とてもしんどかった。今思い返すと、あの時「今日〜ちゃんの機嫌が悪くありませんように」と朝祈りながら通った学校や、いじめがおおっぴらだった時代、移動教室から帰るとひっくり返してある友達の机を慌てて友達が帰ってくる前に元に戻した思い出。なぜか今思うと地雷だらけの手作り品プレゼント交換で、友達が作ったおもちゃが回った子が速攻それを踏みつけた時は、全力で組み立て直してフォローした。一言でいうと「優しい」のかもしれないけれど、その度に私の心はボロボロになった。本人も気づいていない出来事を私はただ一人ずっと引きずって夜思い出して泣いたりするのだ。

 中高生では人のノリについていけなくて悲しくなったことが多々あった。大勢人が集まると、聞き耳頭巾をかぶったおじいさんの様に、いろいろな人の心の声が聞こえる気がする。それがうるさ過ぎてしんどくなる。
「気にしなければいいやん」
それが一番優しそうに見えて辛い言葉。気にするというのは選べる動作ではない。「気になる」のだ。
そして大学生になったらパリピ(パーティーピーポーの略:パーティーが好きな感じのオープンでノリノリの人たち)が苦手で、どうしてもそれに交れなかった。一番心が疲れた時は、いつも決まってパリピの振りした後だった。

 私は明るい性格だった。そしてこの性質ゆえ優しい。でも本当に心を開いて付き合える相手は数年に一度突然現れるので、学校で「クラスの友達と仲良く」というのが私を「ダメな人間」だと思わせた。みんなと一緒にどんな人とも仲良く笑っていなさい。それが出来ない私はダメだ。練習が足りないのかな。なにが問題なのか、全くわからなかった。

 そんな私を少しだけ慰めてくれたのは、「血液型占い」だった。B型は元々分析結果がよくない。どの本を読んでも「マイペースで気分屋」と書いてあり、それがよかった。「それでいいんだよ」と言われている感じだった。でもそこにも「明るくて友達が多い」みたいな記述があって。完全に私の気になる部分をカバーしてくれるものではなかった。それでも、何か自分に違和感があると「B型だからね」と自分を慰める貴重な言い訳だった。

 そんな私が劇的に楽になったのは45歳の時。ひょんなきっかけでHSPという言葉を知った。そこには「これは特性。治るものでもないし、治す必要もない」そしてその対処法としては「無理をしないこと」その言葉で私は45年間の苦労に終止符を打つことが出来た。自分に優しくなった。
無理してパリピの振りをしなくてもいい。人がいっぱいのところに聞き耳頭巾をしたまま行く必要はない。好きな音楽を聴きながら一人で過ごしたっていいんだ。だってそれが私だもの。
 
 HSPの薬があったとしたら、それはHSPの特性と対処法を表した言葉。
自分自身でもその言葉がないと自分を理解してやれなかったと思うと不甲斐ないが、でもそんな社会の中私がこれからすべきことは見えている。
「あなたはあなたのままでいい」を伝えること。
HSPのみならず、いろいろな特徴や特性があるもの。「普通」なんてない。一人ひとりが自分に優しく。そして自分への優しさから溢れた愛情をお隣の人、目の前の人にも向けること。

 あなたは、あなたのままでいい。

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