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花束みたいな恋をした、か。

久しぶりに日本の恋愛映画を見た気がする。
注目されていた上映中もサブスクリクションに入ってきた時も、見ることはないと思っていた“花束みたいな恋をした”
姉が家のテレビで見ていたから、流し見と言いつつがっつり見てみたのだけれど、あの映画は刺さったようで私の中にあんまり刺さっていなかった。
例えてみると足の裏に刺さった棘くらいかな。
それでもこの映画を見て自分が思ったこと考えたことを書きたくなってしまったから、考えさせられた、という意味ではいい映画だったと思う。

簡単に言うと自分達が時代に沿って変わるということを受け入れた彼氏と、変わりたくなかった、変えたくなかった彼女のなんでもない数年の恋物語。
彼たちは趣味やハマるものが一緒で、お互い二人がいればどうでもいい、と思っていた学生時代から社会人になるのだけれど、そこで出てくる時間の合わなさだったり、価値観が変わってきたり。
共通の趣味が段々と彼には苦痛になってきてしまったり。
今社会人の私には彼のほうが正しいのではないか?と思う場面が多かった。
あの頃(学生時代)をずっと続けたい彼女と少しずつ変わっていかなくてはいけないと思ってる彼氏。価値観という言葉だけで片すにはおもたすぎる議題なのかもしれない。

でも変わりたくないって、分からないようで分かってしまう。
高校から専門に入学するタイミングでお付き合いしていた彼とは元々他校同士だったから、全く関係のないことだと思っていたが、夏休みとかは特に私は忙しくて彼は暇。時間のタイミングが合わなくて気がつくと浮気をされていた。
今まで割と近くにいたけれど環境が変わった瞬間、一気に不安になったり相手のことを束縛したり、はたまた浮気してしまったり。
それもこれも全部相手のせいだと言ってしまうと人間失格になる。それでも最近、冷たかったしななんて思いながら相手に罪悪感を少しだけ持ちながら、人は浮気をする。

映画であったワンシーンを自分に置き換えてみた。
彼氏に出張前乗りするかもと言われて、その日は映画を見に行く約束をしていた。
んーーーーーー。私なら仕事頑張って、稼いできてください。と当たり前に、映画なんて気にしなくていいよと、送り出す。映画は友達と見に行くから。もし君がみたいようだったら、もう一回行こうとね。
だって映画だもの。記念日でも送り出すかも。また日にち改めようね。そう言って。
まぁそれも今私が社会人になったから言えている言葉なのかもしれないけれど。

“じゃあの数が多いんだよ最近”
有村架純が演じるきぬちゃんの気持ちに私はそこまで共感ができなかったのだが、この言葉だけは、彼のために我慢した彼女がつい口に出したことがどこまで切なく発した言葉だとは分からなくとも、その言葉が彼の胸にそこまで届いていないことは私も切なくなった。
じゃあっていう言葉私も好きになれない。
なんだか妥協されているようで、少しだけ私のこと面倒がったでしょ、今。って言いたくなってしまう。


最後の別れを決意した日が、そして別れた後でも数ヶ月同棲をしていた期間がきっと彼女たちの恋を美化させたのではないだろうか。
あの頃一緒に行ったパン屋さん。30分を一緒に帰った帰り道。多分、彼も彼女も別れた後も思い出すのだろう。
忘れられない人って、そういうことでしょ。
忘れられない人がお互いその人であること自体私はすごく幸せだと思うけどね。

ナナ


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