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知らなかった頃には戻れない

知らないことは、ひとつの強みだと思う。

知っているから選択肢がいくつも生まれ、迷う。自分の中の指針を見つかるまでは、あっちでもない、こっちでもないと右往左往することになる。

たくさん見えすぎているばっかりに、結局どこへも行けずに座り込んでいたりする。

知らなかったり、選択肢が少なければ、それだけに集中し、没頭できる。

敏感さと

私は人一倍敏感で、いろんなことに気付いてしまう面がある。

普通の人が気にならないレベルのニオイがすごく気になることにはじまり、周りの人が平気そうな顔をしている中、一人音がノイズに感じ消耗する。同じ電車内にいる人に怒っていたり、不機嫌な人がいたら気付いてしまい、ハラハラドキドキする。飲み会の席などで、全然話していない人がいると気になって仕方ない。同じ職場で働いていたらおおよその人間関係(嫌っている、付き合っている等)がわかる。言葉では誉めていても、ほんの少しの言い回しのトゲに気付いてしまう。

そうやって勝手に気付いて、勝手に内心オロオロして、勝手に消耗している。

クタクタになる理由が外からは計り知れないものだから、ただのスタミナのない人扱いになる。

余計なことを気にせず、その場を楽しめるのが一番楽だ。

知らないから、気にならないからこそできる余裕の表情って、やっぱりある。

子どもの「知らない」時期は宝物

子どもを育てていると、早く大きくなってほしいと願う反面、できるだけ長く、子どもらしい自由なこころのまま暮らせるようにとも願うようになった。

子どもが直面する必要のないたくさんのこと。

私自身がたくさん気付いてしまうからこそ、子どもたちの知らない時期に尊さと価値を感じる。

知らないからこそできる、自由な発想がある。ふるまいがある。表現がある。

学校に通うようになったらきっと、嫌でも現実を突き付けられたり、打ちひしがれたりしてしまうから。

今だけは、「知らない」時期を思う存分楽しんで、安心して笑っていてほしい。

私自身には幸せな子ども時代はなかった分、どんな感じがいい塩梅なのかはわからないのだけど、

こどもたちにはできるだけ温かく、柔らかな、子ども時代をささげたいと思う。

子どもたちの健やかな知らない時期が一日でも長く続くことを願って、守っていきたい。

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