Women Shouldn't be Hard on Women
「女人何苦難為女人」(women shouldn`t be hard on women)という中国の歌を思い出させられた『対岸の彼女』。
ナナコ、葵、小夜子と3人の女性のストーリーが時空を跨いで絡み合う物語だった。学生時代の葵とナナコ、社会人時代の葵と小夜子、そして彼女らの周りに登場する葵のお母さん、夏休みバイト先のホテルの女将、小夜子の義母、葵の会社で勤める女達…小説に登場したのはほぼ全員女性だった。女性の視点から人と関係を築くこと、キャリアを持つこと、家庭を持つことで経験する喜怒哀楽が繊細に描かれてまるで身近にある誰かの生活のように感じた。
私は日本で義務学校教育を受けたことはないし、社会人になってから接する女性はほとんど全部自分と同じように会社勤めで仕事をしている人だ。なので、私は葵とナナコが経験していた、刻々変わる学校のグループに必死に身を寄せなければならないような窮屈さを経験したことないし、小夜子が経験した、育児に専念する主婦への姑や夫からかけられたプレッシャーもほんとんど耳にしたことはない。でも、彼女達の生活は自分とすごく遠くように思いながらも、なぜかその窮屈さを想像すると胸が塞がるような感じる。
独身と育児、キャリア家庭両立と育児専念、高学歴と低学歴、都市と地方、上世代と若い世代、等など、世の中には女性を分断させ、対立させる要素が溢れている。『対岸の彼女』では描かれていないが、民族、宗教、社会階級…も加えるのだろう。対立を煽られた女を苦しくさせるのは往々にして同じく苦しくさせられてきた女だ。
果たして、女同士は互いを理解し合えるのだろうか。
学校内のグループに外されないように毎日ドキドキする葵はそう思った、専業主婦で義母に嫌味を言われ、公園のママグループに馴染ませなせず疲弊する小夜子もそうおもった。「この人と一緒ならどこにだって行ける気がする」相手は彼氏でもなく夫でもなく、「ナナコ」とナナコに変わった「葵」だった。やるせのない日々に曙光を見せてくれたのはもう一人の女だった。
女は対立しがちだという語り方に目新しさはないし、さもなければ奇妙な親密関係になるというストーリーも安っぽさを感じざるを得ない。女同士の関係ははかれない温かさと力強さを感じられるものだ。時間と空間を越えて、もう一人の女を支え続けるものだ。
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