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あの日あの時ダウンバースト


窓の外の雲の動きが、いつもより異常に速かった。それが厚く濃い灰色をしていた。
雷の空気を裂く音が、光とほぼズレずに響く。
普段は動揺しない我が家の猫が、へっぴり腰になるほどだ。

真上だ。
家のほぼ真上に発達した積乱雲がある。

そんなことを考えていると
またたく間に周りの景色が見えなくなるほどの
強烈な雨と強風。風が巻いているのがわかる。
しまいには、雹が降ってきた。

『この現象は、きっと、ダウンバースト』

4km以上がマクロバースト、4km以内のものはマイクロバーストと呼ばれる、冷たい空気が積乱雲から吹き降ろして地面にぶつかり広がる現象だ。強烈な突風と大雨、気温の低下が特徴。雹も降りやすい。


私は思い出す。
私がダウンバーストを思い知ることになったあの日を。

あれは、ある年の8月終わり頃だ。
(私の小話も含め書く)



結婚の為に長年続けた仕事を辞め、住み慣れた場所から引っ越して、始めたパート仕事は私の精神をゴリっゴリに削った。
半年間、なんとか頑張ったが、やはり無理だと辞めることになった。

もう、勤務最終日は開放感しかなかった。
外は暑い夏の日差しが綺麗な日だった。
自転車で4kmの距離を通う私。

「雨降る前に帰りな〜遠くの空暗いよ」

と、最終的には私の事を何故か気に入りだした諸悪の根源に、にこやかに優しく見送られた。

諸悪の根源の言っていた通り、厚い雲が後方に迫っていた。
私は結婚前の職場で「嵐を呼ぶ女」と言われるほど、雷、風、雨に会いやすい奴だった。

だから、雷雲との追いかけっ子は慣れっこだ。
光と音のあきを数えつつ、とにかく出せる限りのスピートで歩行者のいない道を走る。

何時もの雷雲なら、余裕で逃げ切る距離感だった。


しかし、あの日は違った。
雲のスピードが異様に速かった。
こうなると、大粒の雨が私を濡らすのは、もう、諦めるしかなかった。
まぁ、仕事も辞められてハッピーな私は雨に濡れるくらいいやと思った。雷にさえ追いつかれなければ。

その考えが、甘かった。


雷の爆音に晒されたのは家まで後1.5kmほどという畑と住宅の間の、隠れる場所のない細道。
あまりの雷具合に、人様の家のガレージに逃げ込む事も考えたが、まごまごしているうちに、両側畑の道に来てしまった。

ここで経験したことも無い突風に曝されることになる。
夏だというのに、震えるほど一気に気温が下がった。吐いた息が白くなるのを見た。
寒っ、なんて現象?………夏なのに…息しろ
と、思った瞬間には、溺れるような雨と風で、息が上手く出来なくなった。

一瞬、パニックになる。
息ができない…地上で溺れる……!!

しかし、何とか気持ちを持ち直した。
とにかく状況の脱出をはかろうと自分に言い聞かせた。
 
この経験の数年後にスキューバダイビングをしたのだが、あの時に感じた『溺れるかも…』という感覚と同じだった。

とにかく、呼吸の確保をしつつ、身を隠すコンクリートの建物を探し走るしかなかった。
バリバリと音のする雷がいるので木の近くは危険すぎると感じた。

この時の私の行動は、本当に危ないものだったが(まごまごしてないで、人様の家のガレージでいいから逃げ込むべきだった)、木の下に逃げ込む判断も危険だったので、もう、運に身を任せて走った。

強風にあおられ500m進むのにかなりの時間がかかった。
頭の真上で周りが震えていると思うほどの雷鳴を聞く。雷光はフラッシュみたいに眩しい。
いつ、うたれてもおかしくない状況だった。
何とかたどり着いた町中で軒先に隠れつつ、少しずつ移動を繰り返す。きちんと隠れられる場所が中々見つからない。(冷静なようでパニック状態だったのだろう)

やっとの思いで、薬局の大きく張り出した屋根下に身を寄せる。
全身がびちゃびちゃ過ぎて、お店にはとても入れない。
濡れているし、強風にさらされて、体感温度は夏とは思えない寒さだ。
震えながらコンクリートの壁に張り付いて空を見上げる。

この世の終わりのような激しい雷が鳴り響く。
元職場の方面を見ると、それはそれは立派な稲妻がハイスピードで駆け下りた。
その瞬間の音が一番大きく、あとで聞いたら元職場一帯が停電したそうだ。

私は、野鳥や虫達の事を考えていた。
自然界では幾度となくこうして、雷雨をやり過ごすのだろう。
人間は安全な建物や車の中にいる。
生身で外にいるこの肌感覚が、野生なのかもしれない……野生…凄い。などと、謎に関心していた。


10分もしないうちに、夏の匂いがした。

急に周りが夏を思い出したように、一気に気温が上がる。
プールで冷えきった時に感じる、プールサイドのホッとした温かさを思い出す。

鳥達に続き、蝉達が鳴き出すと光が漏れ、お天気雨になった。
さっきまで雨音にかき消され聴こえなかった、人間の動く音が聴こえてくる。
車の走行音さえ聴こえなかったのだと気がついた。

私は自転車で走り出した。雷は私の前方、遠くでゴロゴロといっている。

時間帯が良かった。


「わぁっ……」

目の前には虹が出た。
かごに載せていた食品も、ワイシャツもなにもかも、水が滴るほどだったが、そんな事はどうでもいいほど、心地良かったのを覚えている。

あれは『生き延びた』という、感覚なのだと思う。

遥か昔の人々が、太陽を神と崇めた意味がわかる気がする。
雨が降る前は暑くてしかたなかった日差しにあてられ、温もりを補充して、自分が生きていると実感する。
雨に打たれたくらいで、大袈裟なと言われるかもしれないが、あの吹き降ろす風の中で感じたのは本能的な命の危機であったのだ。


こうして、私はキラキラと露が輝く見慣れた道を、上機嫌で家に帰った。



後々自分がブチ当たった現象を調べて、それがダウンバーストという名前だと知った。(正確にダウンバーストかは不明である。もし、そうで無かったとしても、かなり近い現象ではある。)


本日の窓の外は、あの時より酷い感じで『これだったら、死んでたかもな…』と思った。そして『もしや、これが真のダウンバーストで、私が経験したのはただの突風なのでは?』などとも考えたが、息が白くなるなど、普通の突風では考えられない現象もあったので、とりあえず、ダウンバーストの思い出として記事にした。


人は自然現象には勝てない。
そして、自然現象に文句を言ったところで、彼等は『在る』のだ。
天罰だとかなんだとか人間が感情的に騒ごうが、なんだろうが、目の前の事実だけが圧倒してくる。それが、自然現象だ。
だから、何時だって情報を収集し、回避できるものはして、発生した時はリスクを軽減する行動をする。

そうして、生き延びる。

そんな事を考えた雷雨だった。



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