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koedananafusiとタロットカードの旅 そのいち 15番目の悪魔

画面の前のアナタはタロットカードの絵柄を見たことはあるだろうか?
絵柄にそれぞれ意味が込められており、これを引き読み解くことで占うのがタロットカード占いである。

私はこれを趣味としてやっている。

そんなタロットカードについて不定期に、ランダムに、書こうと思う。

タロットカードは自由な道具なので、決まり事ばかりに目が行くのは勿体無い。

たまに大まかな説明を入れるかもしれないが、どうか自由な解釈をして楽しんでもらいたい。

まずは大きな引き出し。
大アルカナと呼ばれる22枚のカード達の話からしよう。



「誰が一番乗りする?」

私は集めた大アルカナ達に問いかける。

綺麗に記事にするなら、理の外、0番目の愚者からが好ましい気がする。

しかし
物語をはじめから読まなければいけないきまりなどない。

「みんなで決めてよ」

私は占う時と同じようにカードを混ぜ、集まりたい順に集め、山をわけ、組み直し、7枚目のカードをあけた。

「んふふっ、君かぁ」

私は思わず笑う。

彼は私自身を占う時、しょっちゅう顔を出すカードだ。

22番目の世界と同じく、彼もまた私のカードだろう。

大アルカナ15番目のカード「悪魔」

タロットカードは絵柄から物語を読み解くものである。
私のカードは私が気に入った絵柄のものを買ったので一般的に知られているものとは少し違う。

これも、タロットカードの面白いところで、絵柄の雰囲気と読み手の相性というものがある。
私はこのカードが読みやすいし好きだ。

一般的に知られている悪魔の画像も置いておこう。

悪魔。
カードの大まかな意味は大変悪魔らしい。

正位置と呼ばれる絵柄がきちんとした向きなら「依存」「呪縛」「怠惰」「嫉妬」など。
逆位置と呼ばれる絵柄が逆向きの時は
「回復」「断ち切る」「打ち勝つ」など。

基本的には正位置のほうがカードそのものの意味合いが強く出る。
逆位置はカードの意味が曖昧になる傾向がある。

悪魔のカードが出ると、多くの人は残念そうな顔をする。
タロットカード占いに、カードと占い師からの優しい言葉だけを期待する人にとって「悪魔」というのは「悪」そのもののように映るらしい。

私は太陽や、正義のカードより、よっぽど悪魔のほうが可愛いと思う時がある。

絵柄を見てみよう。
私のカードは読む物語が多い。
絵柄読みが苦手だと思う人はシンプルなカードがおすすめだ。

悪魔がハート(心臓、心)を捕えている。
檻に入れられた女性は衣服もなく手についた紐で囚われている。
カラスが王冠をくわえているのを見るに、元は地位も名誉も与えられた存在だったのだろう。
そんな彼女はいま、鍵が見えるところにあるのに、それに手を伸ばしてみることもせず、ただ状況に絶望している。
民衆もまた手を伸ばすだけだ。
悪魔はただ静かに捕えた赤いハートを見つめる。

このことから、このカードは「あなたが望んでいるのだ」「捕らわれることに絶望しながら、そこから抜け出そうともしない」「悪魔は契約を破らないし、破れない」「あなたが惰性と仲良くしようと手を伸ばしたのだ」「これがあなたの望んだものだろう?」と質問者(占いを頼んだ側)に問いかける。

心当たりがあると、人は狼狽える。
大抵は、見たくないことだからだ。
怠惰に生きることに罪悪感がありながら、疲れきった心はその怠惰を貪りたいと思っている。

悪魔がやって来る時は、大抵そういう時なのだ。

そこからどう動くといいのかとか、そういうのは他のカード達が教えてくれるだろう。
それをどうするかは質問者に託されている。


さて、先にも書いたが私は太陽や、正義のカードより悪魔の方がよっぽど可愛いと思っている。


悪魔は公平である。
バランスの存在である。

アニメでもよく描かれるが、悪魔は契約を破らないし破れない。
そして、与えられた対価分の働きはする。
タロットカードの悪魔もそういう律儀なところがある。

悪魔は与えられたものに対して、与えているだけである。
なんともわかりやすい。
だからこそ、ドツボにはまるのだろう。


悪魔が甘い誘惑をしてくるのは確かだが、それに気づかないまま(もしくは気づかないふり)でいる事が本当の問題だ。

悪魔が存在していることが問題なんじゃない。
悪魔を存在させ続けていることが問題。 

そのうち対価を支払えなくなる。
悪魔が破滅を呼ぶのではなく、その力に溺れた本人が破滅へ歩むのである。

それをわざわざ教える悪魔はいない。
悪魔だって報酬が欲しいのだ。
そう、やすやすと獲物を取り逃がしたりしない。


そう考えるとタロットカードの悪魔はそんな普段なら教えてえてはくれない問題を目に見せてくれる存在であり、なんとも可愛いと私は思う。
(ま、占いで引っ張り出してるんだけどね。)


『お前が何時までも怠惰に過ごしているおかげで、俺がこの場に呼ばれたんだぞ…あぁかったるい……』

と言うわけである。
ははは。ごめんよ。私は私が怠惰な事を受け入れてしまっているので、私自身の事を占う時はやたら悪魔が引かれるわけである。

もし、あなたがタロットカードで占った時に『悪魔』がやって来たら、それは一度自分の行いを振り返る時であり、そして、思い切ってその檻を出るべき時かもしれない。

衣服も無いし、王冠もないかもしれなくても、あの、真っ赤なハートだけ取り返して。 

人間のハートはとても大切で重たい対価だ。
だから、やすやすと悪魔に委ねてはいけないのである。


悪魔とは、適度に付き合うのが一番楽しいよ。
時には惰性も必要だよ。
頑張りすぎてる人に出た時は、私は悪魔に「君も甘いなぁ」と微笑む。


ものはとらえよう。
良いも悪いも紙一重。


それが私の15番目の悪魔。




占いも悪魔との契約と変わらない。

なんの対価もなしに大いなる流れなんて読めないのだ。
きちんとカードと向き合わない占い師も、結果を蔑ろにする質問者側も、そのぶんの対価はどこかで支払うことになる。

私は他者を読むのに対価らしい対価を貰わない。
なぜなら、対価ぶん読む力があるか疑わしいからである。
読ませて「もらう」ことで、私は対価を支払う。
相手は読ませて「あげる」ことで、私に対価を支払っていることになる。

言葉は便利だ。
契約にはもってこいだ。
そう思うのは、こういう時。

もちろん、読んだあとで対価を貰うこともある。
貰い過ぎにならなければいい。
貰い過ぎれば、超過分は私が何かしらの形で対価を支払うことになる。
ちなみになにも貰わないのも駄目。

過ぎれば、何事も毒だよ。

物事には何時もバランスがついて回っている。
タロットカードはそれを見やすくするための道具達。
大切で愛おしい道具達なのである。


色々書いたけれど、大切なこと。


タロットカードは自由度の高い道具だから、色々な読み方があります。
私の読み方は私のものだから、これが全てとは思わないように。
どうか、あなたが一つの考えに囚われてしまいませんように。


さて、初回はこれくらいにして〆ようか。
タロットカードに関してはマガジンにまとめているので、興味関心のある方は覗いてみて。

また、この記事を読んで「見てもらいたい気がする」となったら仕事依頼ページへどうぞ。

書いたとおり、対価は貰っていません。
あなたの流れを見せて「くれる」なら、それでいいの。
私の練習になるのです。
(メール見逃し魔ですので、万が一、メールしたのに一日経っても返事が無いときは、コメント欄にコメントくれると助かります)


これから他の大アルカナ、小アルカナ達も不定期に紹介していこうと思います。


次は誰が立候補するのかしら。

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