カウンターの刃物の傷を眺めてる。

なんだっけ。
なんだったかの時。
忘れてしまったけど。
死にたいと怒り狂っていた気がする。
それをナイフで刻み込んだ。

私はそうして、それでも生きてきて。
それはきっと恥なのだろうなとも思う。
だけど、それでも私は生きたし、私の中でだれかは私を守ったし、そうして生きるということがひとつひとつ積み重なって私という形を取り続けて行くのを毎日眺めて、それがまた生きるになっていくのを許している。

私の人生は、私の毎日は、時折苛烈だ。
それが正常なことだとは思わない。
けれどそれは私の日常だし、そんな日々の積み重ねを「生きる」と呼ぶのだと思う。
これを「不幸」と呼ぶ人がいるのも知っている。

なにかが足りなくて、それがなにかがわからなくて。
欠けているそれを常に求めて生きてきて、見つからないことに絶望し続けてる。
私じゃ私を満たせない。
どれだけ私が分離しつづけても、その誰でも私を満たせない。

ナナシノは世界を恐れてる。
自分には生き抜くことができないとわかっている。
それが思い込みだとしても、彼女の中でそれが真実として刷り込まれている。
世界は彼女を否定するし、彼女は世界を拒絶する。
闘う必要のない相手と闘い続けなければ保てない。
きっとこれは孤独ということだ。

生きることは抗うこと。
生きることは足掻くこと。
生きるとは飽和。
生きるとは死そのもの。

望まぬ刻印にそれでも生を臨めないかと探してる。
喜びや幸福がどうしたら彼女に届くのかと思う。
怯えた悲鳴しかあげれない。
それでも彼女は自分の存在に、この世界に、気づくことができた。
それを人は希望と呼ぶのではないだろうか。

つまりは死にたいということだ。
そしてそれでも生きるということだ。

いづる

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