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日記 結婚とお金と壊れた精神について

まず壊れた精神について

私は群馬県に公式に認められたガチメンヘラである。いや、メンヘラと言っては私と同じような精神障害者手帳を持っている人間に失礼かもしれない。しかし、私はメンヘラという言葉の響きが好きなので、自分で"ガチ"メンヘラと名乗るならば許されよう。

そんな精神がぶっ壊れている私でも、表面的には普通の人間を装うことができる。それができたのは、私が正式に統合失調症と診断されたのは28の時であること、それまでもリストカットや引きこもりを経験しながらではあるが、学校生活をそれなりに過ご(死ぬほど苦痛)すことができたこと、社会に出てときおり現場をバックレたりしながら(自殺未遂してる)ではあるが社会人を健常者として過ごしたこと、それらの経験から、いわゆる日本社会通年上の普通のニンゲンとはどのようなものであるか学ぶことができたので、普通というものがどういうものか、私なりに結論を導き出すことができたからだ。

普通とは?
=相手に不快感と驚きを与えず、相手の予想を裏切らず、その時に流行っている(流行とは醜さそのものとココ・シャネルが言ったような気がする)なんか良さげで曖昧、思想と呼べるほど論理的でないうすぼんやりとした一億の思念に乗っかること。

つまり大人しいホラ吹きとして生きていれば、大抵の人は私を特別な存在として扱わない。良くも悪くも。

統合失調症とは、発症年齢が低ければ低いほど予後が悪いとされる。特に思春期に発症すると、大変予後が悪いそうだ。
それは、やはりある程度、自我が固まっていないと、本来の自分というものを取り戻すことができないからなのではないかと私はひっそり提案してみる。医学的には、脳の発達云々かんぬんという説明があると思うのだが、私は知っている言葉と己の経験とネットで仕入れた知識で語るしかないので、これはきっと、精神医療に携わる人から見れば、何アホなこと言ってんだと思われるかもしれない。

しかし、私は自我を保つということに子供の頃からけっこう拘りがあるタイプであった。あの人はああ言っているが、私はこう思う。私はこれが好きだが、友達はそれが嫌い。私は相手や社会とぶつかるとき、いつも折れるほうだった。しかし、私がひとりでひそかに呼んだ本、見た絵、漫画、映画、ドラマ。棚に飾った可愛いものたちを私は大切に愛し続けた。そういう、好きなものをひたすら内側に積み重ね、私は28になったのだ。発症するまで、私は本来の私と人付き合いのための私をはっきりと区別できていた。自我と、それを抑制し、世間に合わせることができていた。だから、今こうやって普通の人のふりができるのだ。

話は少し戻り、思春期に統合失調症を発症するとどうなるか考察してみる。思春期、第二次性徴期は脳の発達スピードがめっちゃ早くなり、いらない神経回路をぶった切っていくということをどこかで読んだ。間違っているかもしれない。

つまりこれからはっきり自我を形成していく時なのだ。そんな時に妄想・幻覚etc状態になったら、もはや自分が何者であって、世界がどんなものか、社会がどんなものか、ワケワカメ状態になるのは目に見えている。私が経験したようなことを、もし思春期の私が経験したら、あっち側に行って戻れなくなることは容易に想像がつく。

ということで、私はガチメンヘラだが、普通がどんなものかある程度理解しているが故に、結婚という道を選ぶことができたのだ。それが必ずしも、私の人生において良いものだと言えなくても。


お金について

こんな私は当然ながらそんなに稼げない。フルタイムで最低賃金で働いて、手取り15万いくかなといったところ。それでも、いつかはもうちょい稼げる専門職になるべくせっせと準備しているところである。モチベーションは、旦那になる予定のお方を楽にさせてやりたい、ということだ。今は、せめて自分にかかるお金だけは自分で支払うこと、と決めているが、果たしてそれができるのか不安である。金銭的には私は彼に頼りたくない。私がどうにかしたい。だって好きなら当然、負担はかけたくないと思うでしょう??

社会に出て、お金を稼ぐことの大変さを知っていれば、好きな人にはこんな大変な思いしてほしくないという人も多いのでは。これは綺麗ごとなのかもしれないが、綺麗ごとで終わらないことを祈るしかない。神様ァ〜、おねげーします。


結婚のことについて

なんか書くこと忘れたので、割愛させていただきます。



今日の日記は以上です。日付変わってしまったが。

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