脚と頭は使いよう

月に二度ほどふらっと恋人のもとに訪う私を、彼はどのように感じているのでしょうか。
知り合ってから干支は一周しました。付き合ってからワールドカップは2回開催されました。けれど、私達は一向に一緒に暮らそうとしませんし、結婚するという話題も全く会話に登らないのです。

深夜にテレビを点けて寝そべりながらサッカー観戦をする恋人に
「ボールを足で蹴るなんてお行儀が悪い」
と言ったら、彼は
「ヒールの高い靴を履いてタクシーに乗り込む君よりは、余程有益に脚を使っている」
と答えました。
なんて人でしょう。
腹立ち紛れにテレビにかじりつく恋人の膝の上に脚を投げ出すと、彼は私の足指を両手で包み込み、そっと口づけをしました。

「そういえば、昔スペインに住んでいた頃に、うちにホームステイしていた人がいるのよ。確かサッカー選手だったわ」
私がそう呟くと、彼は顔を上げて私を覗き込みました。
「サッカー教わったりしなかったのかい」
「するわけないじゃない、興味ないし。なにより彼は毎日疲れ果てて帰ってくるのよ。練習の後に語学学校に寄ってくることだってあったから、あまり家にいた記憶は無いわね。私たちよりも、お互いの洗濯物の方が余程触れ合っていたわよ」
私は時折このように悪ふざけの境界線を飛び越えた物言いをして、彼を呆れさせることがありました。
「じゃあ深い仲になることもなかったんだ」
「どうかしら」
彼は私の趾を少し噛みました。

恋人にやきもちを妬かせるのは、仔犬が甘噛みをしながらじゃれあうようなちょっとした遊戯です。柔らかい痛みは体の芯を疼かせて、彼の存在を特別なものにするのです。
私は彼の掌から脚を引き抜き、代わりに体を投げ出しました。
見上げると恋人の顎のラインはとても鋭角で、美しいと思いました。
「君は好きなときに好きな人とセックスしたらいいよ」
私の髪を撫でながら彼はそう言いました。
彼の手を頬に当てる素振りをしながら、私は彼の鼓動を確かめます。体に伝わってくる呼吸は至って平穏で、彼が本心からそう言っているのが感じられました。
私は嬉しさで胸がいっぱいになります。
日本の高校に通い始めた時の、両親との会話を思い出しました。

「クラスの友人は、帰宅時間が遅いとお父さんに怒られるんだって。門限を少しでも遅れると、お小遣いが減らされるって嘆いていたわ」
「うちは門限は設定しないよ」
「どうして」
「門限なんか設定して人生の重大事に立ち会えないなんて馬鹿らしいじゃないか。それに、門限があるからと帰宅時間を調整するのは、何も考えていない証拠だよ。勉強がしたければ早く帰る。翌日の授業に遅刻したくなければ早く帰る。自分の行動には自分で責任を取るんだ。自分でする判断には失敗もつきものだけど、だからこそ今から練習することが必要なんだ」

恋人の腹に顔を押し付け、私は言います。
「わかってるよ。私は好きなときに好きな人とセックスするよ」
そうして彼の両手が私の体を抱きしめリモコンを手放した瞬間を私は見逃しませんでした。
テレビの電源を切り、彼のTシャツをまくりあげます。
彼は自分の言ったことに責任を取らなくてはいけません。
いつでも自分から離れることができるからこそ、今私は彼と寄り添っていたいのです。

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