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桜蔭、鉄緑、教育①

桜蔭の合格発表で、あるチラシが配られていた。鉄緑会の、入塾案内だった。SAPIXで仲がよかった友達の何人かが、その鉄緑会に通うという話を聞いた。わたしはSAPIXのコミュニティが好きだったから、そのイメージを鉄緑会にも期待していた。

しかしその塾が何なのか、親もわたしもよくわからなかった。桜蔭は私立なので、ただでさえ学費が高いのに、その上塾に通うとなるとまたさらにお金がかかる。両親は、乗り気ではなかった。しかしどうにか懇願して、結局、初年度の塾代を合格祝いとして祖父母に払ってもらうことで鉄緑会に入ることができた。鉄緑会も、自分の意思で入塾したのだった。

鉄緑会に入ったわたしは相変わらず努力に勤しんだ。しかし鉄緑会での勉強には、面白さを見出せなかった。やはり勉強を通して自己成長をするという当初の目的が、桜蔭に合格した時点で、もう達成できていたからなのだろう。

高校に上がりしばらくすると、文理選択を迫られた。周りの友達はほとんど理系だった。将来の夢に建築家を掲げていたわたしは、理系クラスを選んだ。しかし、理系科目への興味がどうしても湧かない。

そこで将来の夢について改めて考え直すことにした。わたしの夢は、本当に建築家なのか?と。引っ越しのワクワクを追体験するなら、わたしは家を建てる側ではなく、家に住む側になるのが筋ではないか。でもそれでは職業にはならない。どうしよう。悩んでいても仕方ないと思い、さまざまなことにチャレンジした。

研究職を体験する泊まり込みのイベントに参加したり、ディベートでイエール大学の決勝ラウンドまで進んだり、声楽のコンクールに出場してみたりもした。しかしどれに対しても、わたしは特定の職業に就く必要性に迫られるほどの好奇心を抱けなかった。

大学に進むべき積極的な理由を、ついに見つけることができなかった。しかし行かなきゃならないようだった。だからわたしは、代わりにこう考えた。大学で、特にやりたいことがない。でも、何かを選ばなきゃいけない。ならせめて社会のためになることを大学でやろう。その中でも、この道を選んできたわたしが、社会に還元しなければならない、最大の使命なるものをやろう、と。それは、何だろうか。教育だ、と思った。

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