「普通の家庭」に生まれなかった人が自分の家庭について話すということ

連日のニュースを見ていると、とても辛い。
死んでしまった女の子は、どれだけの勇気を持って自分の家のことを伝えたのだろう、と思うと胸が潰れそうになります。

私の家も、父親が家族に暴力を振るい、怒鳴り、食卓のごはんをひっくり返す、そんな家庭でした。

でも、それが「普通」ではないことを小学校高学年になるまで知りませんでした。

なにかのきっかけで、クラスメイトに「父親に殴られる」という話をした時の、
「え!?こわい!」
「1回も殴られたことない」
という反応で、はじめて自分の家が普通ではないのだと知りました。
その時のクラスメイトの反応は衝撃でした。
みんな嘘を言ってるんじゃないの?と思いました。

それは、大人になった今も私を蝕んでいます。

周りの人が、自分の家庭の話、父親の話をしている時。
どうか私にはその話題を振らないでくれ、と息をひそめて祈っています。

よほど信頼できる人ではないと、自分の家の話はできません。
困惑させてしまうから。
引かれてしまうから。
「お父さんにも色々あったんだよ」などの言葉で片付けられてしまうから。

「普通の家庭」で育った人に、そうでない家庭のことを理解してもらうのがどれほど難しいことなのか、知ってしまっているから。

現在進行形で酷い目にあっている子供が、外部に自分の家の話をすることが、助けを求めることが、どれだけ勇気のある行動だったのか。
なのに、なぜその勇気が報われなかったのか。

フラッシュバックが辛すぎて、ニュースの詳細も追えない私には、そこに言及することはできませんが、一つだけ思うこと。
彼女がした、助けを求めるという行動は、ものすごく、ものすごく勇気があることだったんです。

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