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村上春樹とブローティガンと原書の楽しみ

リチャード・ブローティガンと言えば『アメリカの鱒釣り』。昔々、恐らく「村上春樹が影響を受けた〜」という文脈で紹介されていて知ったのだと思う。
詳しい内容は覚えていないのだけど、とにかくよく分からなくてお手上げだった、小説というよりも詩のような作品だった、という記憶がある。
以来ブローティガンの作品を手に取ることなかった。

ところが先日Y2Kさんのnoteで、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』はブローティガンの『西瓜糖の日々』に影響を受けているかもしれないと紹介されていて、またもや村上春樹とブローティガンが一緒になって現れた。


ちょうど『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読み終えたばかりで、何にも似ていない恐るべき想像力と物語の力に、世界の見方が変わるほど圧倒されたところだった。この小説にインスピレーションを与えた作品があったのか。
ブローティガンは分からない、と思っていたけれど、俄然『西瓜糖の日々』を読みたくなる。


その後何度かパリのBOOKOFFを徘徊したが見つからなかった『西瓜糖の日々』だったが、先週、知人のお宅を訪ねたとき彼女の本棚に発見し、読ませてもらうことができた。



『西瓜糖の日々』 リチャード・ブローティガン


まず感じるのはとても不思議な世界だということ。説明がなく、非常に感覚的だ。
私たちの生きてるこの世界とは少し違うことが当たり前のこととして前触れなく語られる。
でも『アメリカの鱒釣り』よりはストーリー性があって読みやすい。


読み終えた時、不思議な甘い余韻が残った。
やっぱり分からないと感じたけれど決して嫌いじゃない、心地良い瞑想感がある。
読後のほのかな甘みは数日経っても消えることがなく、時間が経つほどに心に響いてくる。

ただ、今の私はこの本を語る言葉をまだ持っていないと感じた。
読後の感想を言葉にすることで、この小説のもつ独特無二な世界を小説の外へ引きずり出してしまうよりも、完璧でナイーブで残酷な美しい世界を分からないままそっと残しておきたくなる。

大抵は感想を言葉にすることで物語を咀嚼し、自分なりの理解に至るのだけど、『西瓜糖の日々』は今の私が言葉にすると一番大切部分がするりと抜け落ちてしまいそう。だからそっと眺めていたい、そんな世界。

しかし甘い余韻はじわじわとボディーブローのように効いてきて、何日経ってもふと考えてしまう。こう言う後味引く読後感があるのは良い読書をした証だと思う。



『西瓜糖の日々』を読み終えたとき、もしかしてこれなら英語でも読めるのではないか、と思いついた。

原書を読む楽しみについて綴っているRyéさんの影響で、英語やフランス語でも本を読みたいなあと思っていたところだったのだ。



今でこそ生活上の必要から英語を使わなければならないこともあるし、映画やドラマを英語字幕で見ることもままある。仕事場での共通語が英語のことがあってもなんとかやっている。でも学生時代から英語にはずっと苦手意識があった。特に読むのが苦手だ。

英語の文章を読んでも頭の中で映像化することが難しく、英語で本を読んでも面白いと思ったことがなかった。ただアルファベットの字面を追って情報を読み取っているだけになってしまう。頭の中に風景が浮かばないと、日本語で読むときのような没入感を味わえない。
私の語学力だと特殊な世界観を持つ小説や非現実的な小説は、こんがらがって迷子になってしまいやすいというのもある。でもこの本はすごくシンプルな言葉で綴られていて、独特なロジックがあるけれど親しみやすく感じた。



早速、英語書籍専門の本屋さん Smith & Son へ探しに行ったけど取り扱いがない。でも1週間ほどで取り寄せられると言うことだったので、注文することにした。

その代わりに見つけたブローティガンの『Dreaming of Babylon  - A Private Eye Novel 1942』を手に取ってみる。私立探偵の物語のようだ。ブローティガンと私立探偵、意外な組み合わせに思う。ブローティガンが書く私立探偵ってどんな感じだろう。

その場でサッと検索し、日本語でもあらすじを確かめてみる。

ページをめくってみると、面白そう。それに英語のレベルもついて行けそうだ。

『西瓜糖の日々』と同じく1ページから5ページほどの短い章がいくつも連なっている形式なのもとっつき易い。
明日から1週間海辺に行くし、砂浜でゆっくり読むのにちょうどいいなと購入した。

結果、購入して大正解だった。

本にハマっている時の、あの引き込まれる高揚感を、外国語で書かれた本で初めて味わうことができた。この本は読んでいて映像が浮かんで来た。




『Dreaming of Babylon  - A Private Eye Novel 1942』 Richard Brautigan


主人公はハードボイルドを気取った役立たずの私立探偵。誇大妄想気味で、お金が全くない。

ろくでなし×ハードボイルド×私立探偵というと探偵物語の工藤ちゃんとかロンググッドバイ的なカッコいいろくでなしを想像するけれど、ブローティガンの物語はそんな予想の斜め上空へ、オフビートなリズムで駆け抜ける。

ルパン3世やフィリップ・マーロウはちょっとだらしなかったりどうしようもないところがカッコ良くて、女の子も放っておかない。

でもブローティガンの書く私立探偵C.カードは本当にどうしようもない方のろくでなしだ。

そのくせ結構他人を見下してる辺り、現実世界でお友だちになるには厄介なタイプなのだけど、でもこれが小説の主人公となると途端に魅力的なキャラクターとなる。それに役立たずで重度の妄想家なあたり、自分と似ていて嫌いになれない。


前半はとにかくなにも起きないまま章を重ねる。ナンセンスとも言えるカードの一日が独特の淡々としたリズムと、スローなユーモアで書かれていて心地が良い。

そう、とにかくユーモアのセンスが良いのだ。
真顔の演技で笑いを呼ぶバスター・キートン的な笑いとでも言おうか、淡々と平坦で、ときどきひゅっと落ちる笑いのセンスがツボにハマる。
英語の本を読んで面白いと思ったのも、声を出して笑ったのも、続きが気になって止まらなくなったのも初めてだ。

妄想家のカードはいつも"バビロン"のことを空想している。バビロンとはカードの空想の世界。
そこではカードは何にでもなることができるし、Nana-diratという最高に素敵な女性が彼を待っている。

バビロンのことを考え始めると知らぬ間に時間が経ってしまうから危険だ。
バビロンに夢中になり過ぎてバスを降り逃したり、大事な試験に落ちてしまったり。妄想世界が日常生活を侵食して止まないから、カードは一瞬たりとも気が抜けない。

バビロンで空想している内容が、ほとほとくだらない辺りにも堪らなく親近感が湧く。
本人にとってはとてつもなく重要だけど、彼以外の人類にも社会にも1ミリの役にも立たないくだらないこと。このくだらなさに思わず共感し、笑いが溢れる。

例えばバビロンで新しく始める探偵ドラマの、自身が演じる主人公の役名をあまりに真剣に考えるうちに、うっかりバスを降り逃してしまうカード氏。

わかる、わかりすぎる。
私もスパイ映画を観たらスパイになった自分を空想しているし、考え事をしていると反対方面の地下鉄に乗ってしまっていたりする。


物語が後半に入るとカードはようやく依頼主に出会い、物語のテンポが一段上がる。
けれど決してドラマチックに走らず、あくまで淡々と語り続けるオフビートなナンセンス。
それにわずか180ページの短い私立探偵小説なのに、冒頭90ページは依頼主が現れないという抜け感も良い。

ちょっとビッグリボウスキーに似た空気かも。コーエン兄弟が映画化したら面白そう。そう言えばインヒアレントヴァイスもこんな空気感だったっけ。

さてさて、ようやく依頼主に出会い一世一代の大きな依頼を前に、それでもバビロンへ妄想旅行が止まらない私立探偵カードは、果たして無事に任務をこなせるのか。続きは読んでみてのお楽しみ。

きっと誤読しているところや理解できていないところ、見逃したジョークや言外の意味を取り逃している部分は大いにあるはずだけど、それでも極めてシンプルな英語で書かれていて、頭に映像が浮かび、英語独特のリズムを感じることもできた。英語で読書をはじめるのに持ってこいの作品だと思う。本当に面白かった。

注文した『西瓜糖の日々』こと『In Watermelon Sugar』が届くのが今から楽しみだ。日本語版で手に入りにくそうなブローティガンの作品は原書で探してみようかと思う。

そう言えば村上春樹が影響を受けたというのにも納得のリズムだった。
オリジナルな比喩や例え、大袈裟な形容詞が良い味を醸し出している。独特な世界観もそうなのだけど、突拍子もないようでいて読む者の想像力を刺激する比喩表現に春樹っぽさを感じた。村上春樹好きな人はぜひ読んでみてほしい。


ビーチで読書!と意気込んでいたら、
ずっと曇り空のブルターニュ地方より



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