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変わることと変わらないこと、人はどちらが幸せか。

「変わったね」って言われて、それが悲しかったんだ。

恋人と別れた友人がふと口にした。何も言えない代わりに、目の前のコーヒーを一口飲んだ。

変わってしまったってさ、昔を否定されているか、今を否定されているかどちらかじゃない。良いことだとしても、悪いことみたいじゃん。

一理ある、と思って珈琲をもう一度口にしようとするのを止めて思考を働かす。そんな私の頭の中に流れたのはaikoのカブトムシ。

少し背の高いあなたの耳に寄せたおでこ

これ、つまりは精一杯の背伸びをしても同じ高さで景色は見れなかったということ。でも、だから好きだった。
この曲を聞くたびに私はそんな想像を繰り広げてしまう。

みんなちょっとずつ熱いお湯に浸かってはその温度に慣れて「普通」のレベルを上げていく。ぬるま湯でいいやと背伸びをせずに浸かっていたお湯は、時間が経てば経つほどただの冷たい水になっていく。お湯の温度をキープするには努力が必要なんだと思う。そしてその過程で人はきっと変わってしまうのだ。

良かったはずの変化が、彼女たちの別れを導いてしまった。

帰省をして地元の友達に会うと、変わらない安心がそこにある。でも話していると、ふとこう思うのだ。ああ、私だって変わってしまった。そして目の前の相手も変わった。変わらないものってなんだろう。そして、安心するという事実は変わらないのに安心する理由は、触れるたび違うということに気付く。
人混みが疲れてしまったら地元の人の少なさに安心するし、一人暮らしが疲れたら誰かがいる家が安心する。地図を開いて迷いながら忙しい毎日を送るのに疲れれば、何気なく歩ける育った街が愛おしい。

きっと私たちはこれからも変わっていく。変わる度に疎遠になった人もいる。そしてその度に寂しい気持ちが生まれてしまう。

水を入れた袋に穴が開いてしまって、塞いだのにまた違う穴が開いて。塞ぎきれなくて誰かに力を借りて穴を隠すのにまた穴が開く。そうやって何人もで力を合わせて一つの袋に水を溜めるみたいに、人は人と繋がっていく。そう考えるたびに思うんだ、そういう気持ちやうまくいかないことはきっと、また別の誰かと出会うためにある。

きっと寂しさは、また違う人と出会わせてくれる。寂しいという気持ちがどうか、誰かと出会うためにありますように。

変わったとしても変わらなかったとしても、大事なことはきっとそこじゃない。変わったね、変わらないねって笑いながら分かち合える人が一人でもいればそれでいいんじゃないか。だって、変わったよって言ったと思えば変わらないねって矛盾に私たちは気付けない。そしてそれを無意識に受け入れた世界で、笑いあっていけるから。

息切れすら覚える鼓動が、また彼女を強く変えていく。彼女の横顔を、私は生涯忘れない。

#エッセイ #日記 #ポエム #恋愛 #aiko

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。