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証明された猫


「話したら受け入れてしまうみたいで、言えなかった」

すべての景色が、最後に見えた。自分の意思に抗って移動しなければならない事実を、いつまでたっても受け入れられない。ぜんぶ自分で決められるはずなのに、ぜんぜん抗えない。

受け入れることは、もう一つの世界を殺してしまうことに等しいのかもしれない。でも受け入れるしかないの、と話すあの子の目がどうか、死んでいないようにと願うことしかできなかった。

上京を選んだ瞬間にも、帰ることを選んだ瞬間にも、わたしだってなにかを殺しているはずなのだ。パラレルワールドは、存在していた……はずだった。だから、きみは変わったと彼は去ったし、きみが好きだとわたしは言えなかった。重なり合う瞬間を認識できないことは、もう100年前には証明されてしまっているというのに。



今日も朝は、だらしないほどに晴れている。突然の連絡だった。いやだ、というより先に泣いてしまって、それすらも悔しかった。坂本裕二作品なんて、好きになるべきじゃなかった。寂しいことにも意味がある、なんて思えてしまう強さもいらない。いまの、リアルタイムの新鮮な感情にだけ素直になれたら。

いつもコンビニで買うドリンクに、当たり前にストローをつけてくれる生活も、また一から培わなくちゃいけない。選んだ場所のはずなのに、その中の誰かが、愛しいシャボン玉を壊した。やはり重なりは、認識されなかったのだ。

何かに夢中になって歩いている間に、見過ごした何かに。現実は、何も教えてくれないし、見たいものしか見えないからこそ、何もしらないままだ。そのまま夢中になって、たくさんのものを見過ごしてほしいと思うのは、贅沢なことなのか。


この一年が、どうかシャボン玉のように破裂しませんように。重なり合ったことを認識できないなんていやだと抗う、いつまでもわがままだと証明されてしまった、ちいさな猫。

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。