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きみの夜の端っこ

あれはよかった、と思った瞬間になくしたことを自覚するのかもしれない。身体と感情が交差する瞬間に、冬が合図を出している。

選ぶとか選ばないとか。全部選んだ結果、なんて認識も聞き飽きて。ただ、それは過去という事実、現在という真実、未来と言う真理への連続だから。

そう、正しさなんてどうでもよかった。正義なんてものは人の数だけ存在できるものだから。ただ、やさしい正義が守られないのが嫌なのだ。だからわたしはそれを守りたくて、今ここにいる。わたしは守ると言い切ること、そんな曖昧な責任感なんて、と何度も考えてみたけれど。

それでも。

誰かを守るための正義によって生まれるさみしさを守りたい。それはただ、自分があの時守られたかっただけかもしれない、なんてことも十分わかっている。でも供給願望なんてものは、自分がして欲しかったことと紙一重でしかない。

だから彼の喪失への感情に、何も言えなかった。取り戻したいと取り戻せないは違うから、とか。間違いなんて言葉だけを辞書から消してしまいたいと願うしかなかった。誰しも無力なはずなのに、どうしていつまでも、何か出来るなんて思ってしまうんだろう。

ただ、わたしは心地よい期待があることを知っている。断絶と絶望の果てに、緩やかなグラデーションによって救われるものが幾つもあるのも真理だ。

あれはよかった、と泣けないわたしは冷たいのかもしれないと思ったこともあるけれど。ただ、たとえ悲しくても笑顔で見守ることが、わたしにとっての祈りだから。きみは、きみのままでいいからと。甘さでも辛さでもない、現実を刻むだけの、記憶の共有ができればそれは幸せなことだから。


夜の端っこにいるきみを守りたい、と。それは過去の守れなかった自分への祈りだから。わたしたちの少年は、もういない。

読んでくださってありがとうございます。今日もあたらしい物語を探しに行きます。