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代わりに家族を紹介します

自己紹介というのを、どうも書きかねているので、先に、代わりに、ナナシノユキサンの素敵な家族を紹介します。本当に素晴らしい人たちなので、お読みいただければ大変幸いです。


神様の生まれ変わりのような人。父。

無口で、怖そうに見えるが、かっこよくて、愛が深くて、本当に欲がなく、綺麗で純粋な人。専門職だからよかったが、社会性はあまりない。趣味はゴルフと絵を描くこと。自分の部屋を真っ暗にしてクラシック音楽をずっと聴いていた(←この時点で、もう既にだいぶかっこいい)。

「不安で一晩中眠れなかった人が、パパの顔見て安心してくれるかもしれないでしょ。そうじゃない人もいるかもしれないけど、そういう人もいるかもしれないから」

毎朝6時前には家を出ていた父に、そのワケを聞いた時に帰ってきた答えであり、ナナシノユキサンの中で"神様の生まれ変わり"認定された瞬間である。

これを何十年も毎日続けられること自体すごいけれど、ナナシノユキさんの中で"神様の生まれ変わり"認定をされたのは、この、"そうじゃない人もいるかもしれないけど"の部分だ。自分を犠牲にして、人のためになればいいな、と思うことを続ける。それでも "私は人のために、とても良いことをやっているのだ!" と思い込むことなく、"そうじゃないかもしれない"ことをずっと忘れない。ただ、純粋に、そう思ってくれる人がいるといいな、と、それを"願い"として続けられた人だ。

お酒が大好きで(母によれば、アルコール中毒の一歩手前だったかもしれないとのこと)、家族が食卓を離れてからも、毎日静かに一人で飲んでいた。ナナシノユキサンが、哲学科に進んだこと、哲学の本が家に増えていくことをとても喜んでいて、酔うと「アイデンティティってなんだと思う?ユキなりの答えでいいから教えてよ」としつこかった。

父が喜んでくれたのは、いい成績を取ることとか、何かが上手にできることとかではなくて、良い友達に恵まれていることを本当に喜んでくれた。そして、良い大学に入って良い会社に入って、なんて考え方をできずにくすぶっている二人の子供たちを「うちの子たちは、いつまでもちゃんと夢追っていていいね」と喜んでくれていた。本当にこういうことをとても喜んでくれていた。

他界した時に、神様の生まれ変わりではなかった、と分かったけれど、10年以上たった今、やっぱり、神様の生まれ変わりだったな、と再び思っている。

ナナシノユキさん、こんなに素晴らしい人が存在したんだ、ってことを、世界中の人に知ってほしい、と、いつも思っている。


樹木希林のようにかっこいい人。母。

今ではあまり見ないぐらいの都会生まれ育ちの都会っ子で、オシャレで、容量がよく、なんでもササっとできてカッコいい。父とは反対でとても人間らしいところがあって、社会性も高い。ものすごく常識人であるのに、どこかぶっ飛んでいるところもあって、我が家では、是枝監督の「歩いても 歩いても」の樹木希林の役は、絶対にうちの母がモデルだろう、ということになっている。

キレイごとが嫌いで、空気を読んで感動したフリなんて絶対にしない。

幼い頃の、まだ無邪気なナナシノユキサンが、「~~をしてあげる」と言った時に、「あら、してあげる、って言うぐらいならしてくれなくて結構よ」と言われた時の衝撃は今でも覚えている。母からは、恩着せがましさだとか、何かをお願いするときに、"相手にとっても利点のある話ですよ"みたいなことを付け足すことのいやらしさとか、そういう美学みたいなことを学んだ気がする。

"子供のことを信じる"なんて概念が美しく信じられている世の中で、「子供の言うことを鵜呑みにして信じている親ばバカです」とクールに言い放つ。その一方で、監視カメラでもつけられているのか、と怯えるほど、子供のやることはよーーーく見て、子供のことはよくわかっていた。

大学に入ってからも「今日、どこどこに泊まるね」なんてことは絶対に許されず、過保護みたいな面もあったが、反抗期のころ(たぶん嘘をついた時に)「何かあった時に、どこにいるか分からなかったら、あなたのことを守れないから」と言われたのが、ズンと心に残っている。

昨今、親が子供に言う「あなたのためを思って」という言葉が問題になっているが、ナナシノユキサンに限って言えば、母のそういう言葉は心から信じられる言葉だった。

母も、"友達を大切にすること"をとても大切にしてくれていた。終電を過ぎるとすごく怖かったが、帰る前に先に寝ていることなんて一度もなくて、途中からタクシーで帰ると言っても、絶対に怒りながら車で迎えに来てくれた。そして、一通りのこわいお叱りタイムの後、最後には、「それで、楽しかったの?」と聞いて、ブスっとしながら「楽しかった」と答えると「そう、じゃあ良かったわね。~~ちゃん元気だった?」と言って終わりにしてくれた。

ものすごい威厳があって、頭がおかしくなるかと思ったほど恐れいていた時期もあった(手は出なかったが、とにかく威厳がすごい)が、本当は、ものすごい愛で、母が前面に立って、子供に来る色々なものをせき止めて守っていてくれた

ナナシノユキサンが、もっともっと幸せを謳歌して、笑って自由に生きていてほしい、と今、一番願う人。


ひねくれ者の笑わせ屋。兄。

三歳上の兄。もう20年以上アメリカに住んでいる、ほぼアメリカ人だ。

ナナシノユキサン、小さい頃は人と話せば、常に「お兄ちゃん」の話が出てきてブラコンとして知られていた(その度に、ブラコンじゃなくてファミコンだよ、と言い返していたが)。

こちら、ナナシノユキサンと正反対で、小さな頃は、妹の七五三の髪飾りに異常な興味を示して羨ましがったり、なんでも赤が好きだったりした(おかげで、"絶対赤はイヤ!"だった妹は、お下がりでもらった赤い自転車を、全部青いテープを貼って改造しなくてはならなかった)が、結局、どこからどう見ても男に成長した。

この兄の特筆すべきことは、とにかく面白い人。常に「えー、しょうがないなぁ」という、めんどくさそうな冴えない表情のまま、ものすごくふざけたことを言っている、とにかく面白い人で(←この言葉つまらないなぁ)、一緒にいると、常に笑わっていて幸せな気分になる。たぶん、頭のいい人である。

ナナシノユキサンにとっては、戦友みたいな人でもある。大学の頃は、外泊がダメとかルールが多くて頭がおかしくなりそうだ、とよく泣きながら、アメリカいいる兄に助けを求めたものだったし、繊細に感じ過ぎるポイントが、ナナシノユキサンと似ていて、誰に話すのも憚られる後ろ向きな悩みや心のモヤモヤも、ボソッと兄には話せたりする。

ナナシノユキサン、思いっきり末っ子な性格で、おまけにポンコツなのだが、そんな妹を「もぉ~~~っ!」とブツクサ言いながら、ついに手助けしてまうしょうがない人で、そのせいで、妹は甘え切ってポンコツが治らず、でも、妹のポンコツには本気でイライラしている。この悪循環だ。二人ともが大人になった今でもそうだ。

妹を持つ兄の性で、女性にとにかく優しい。

グルメで、料理もうまいし、初めての土地でもやたら鼻が利く。最近も「このダシの取り方すごいからやってみて!」と動画が送られて来たが、ナナシノユキサン、アジアのスーパーマーケットで顆粒ダシ買ってくるだけでいっぱいいっぱいである。一家に一台、兄欲しい。おいしいの毎日食べたい。


まとめ

自分で書いて読んでいても、もう、なんて素晴らしい父と母と兄なんだろう、と改めて感動しているが、ナナシノユキサン、実はそんな家族と、割と離れて育ってきたのだ。こんな光り輝いて思いを馳せているのも、もしかしたら、それが理由かもしれない。そのお話はまだ次回(たぶん)。


以上、ナナシノユキサンでした。

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