高校時代の友だちから久々にLINEがきた。

内容は、『自分のはたらき方がwebメディアの記事になった』というもの。

そのはたらき方とは『ワーケーション』。

そう、『メディア掲載(外向性の強い世界に認められること)』と『ワーケーション』の2点は私が憧れてやまないもので、成功コンプレックスなる私にとって、自分のいわゆる”臆病な自尊心”を刺激するには十分なものだった。

私は負けず嫌いなので、そのLINEを見たときにすぐ出てきた感情は、『先を越された』という苛立ち。そして、私はそこに追いつけないのではないかと言う悲観。一瞬にしてそういう感情と考えに囚われやすい性質で、その感情に足元をとられそうになる。

今までの私だったら、そこでその憧れに届かない自分を卑下したり、友だちをむやみやたらにうらやましがったり、そういう気持ちに何日か囚われていたと思う。

でも、今日は違った。

世間でよく言われているように、『私は私。』という感覚が自然とわいてきて、彼女の今の状況(記事にされるほどの功績とかバイタリティとか)をうらやましがる自分の感情に飲まれすぎずに済んだ。

最近の自分の心身が安定してきているからだと思うし、それに付随して周囲で起きていることが私の理想に沿ってきていて、まさに流れの中にいるのを自分も感じているので、そこから得られる安心感、また『自分で自分の必要なものを選択できる』力がついてきたという自信(まだちょぴっとだけど)が、羨望の感情に増したような気がする。

こうやって書いてみて、もっと気持ちが落ち着いてきた。

今、私は自分が心から安心できる生活環境をつくれるように尽力している。

私はささいなことで動揺したり高揚したりしやすいタイプで、人と接すると相手の感情にとても影響を受けてしまうので自分の身を守ることが精一杯、ものすごく疲弊しやすい特徴を持っている。だから、特に仕事の面である程度人と心理的・物理的距離がある方が望ましい。

また、私は一つのことにずっと集中することが得意ではない。これは、こうことばにすると実はすごく語弊がある。集中するときはご飯も忘れるくらい集中してしまう面もあるので。だけど、1か月、1年など、ずっとそのことだけをしている、という状態が苦手。例えば歌。今歌を練習していて、もちろん毎日のトレーニングメニューはこなしているけど、『歌だけやります!』というのは性に合わない。ギターもドラムもちょこっと練習している。そのことでメインの歌の練習に張り合いが出る。と、こんな風に自分が一番活動しやすいバランスをとることが私にとってものすごく大切。どれかだけに偏ると疲弊したりうまくいかなかったりすることが多いのを知っている。

なので、仕事も何か1本に絞らないようにしたい。就職の決まったパートも、1日4時間、週4~5日と私にぴったりのペース。そして、これにwebライターやwebデザイン、せどり、英会話レッスンの仕事を組み合わせる。これも私の手広くやってバランスをとる、というのに合致している状態。さらに、肉体面のバランスも必要で、ずーとパソコンの仕事は正直辛い。パートの仕事は身体を動かすものなので、これでパソコン疲れも解消、適度に社会とのつながりもできて好都合。

もちろん、収入はちょっと厳しい。でも、私が今こういう心身の状態にあることが何よりも大切ということで、収入はカツカツで乗り切ろうとしている。これも不可能ではないから、実践できてる。

もちろん私がこんなことをこんな風に言えるのは、安全な社会通念やインフラが整っているからであって、それらを担っているすべての人やものには常に感謝したいと思う。

冒頭に書いたように、また中盤で自分の性質に触れたように、私はワーケーションができるようになりたい。ワーケーションというか、世界中に自分の拠点を持ちたいと思ってる。これは、私がひとつのところにとどまり続けることが結構苦手なことに起因している。適度にいろんなところに行きたい。幸い、世界の数か所に信頼できる友だちがいる。そこを通じて、いつでも気軽にそういうところに行ける自分のはたらき方と資産形成をしたいと思っている。

夢を、目標に。

やっとそう思えるようになってきたところ。

なんだ、私も意外と進んでるじゃん、と書きながら思う。もちろん、まだまだ先は長いけど。

それと、彼女のパワフルさ、人にインパクトを与えられる外向性の強さは本当にうらやましかったけど、私の静かさ、内向性の深さもいいもんだと最近思えてきてる。メディアに掲載!みたいな目立つというか他の人に認められてるみたいな感じのことをものすごくうらやましく感じてしまう自分がいるらしいけれど、今日の私は「いや、そのメディア、彼女には合ってるけど私には合ってないよね。。」と冷静になることができた。メディアも人が作っている。波長の合う人同士が。私は合うのか?その人たちに私が安心して話すことは出来そうか?と問うたときに、落ち着いてよくよく考えてみたら、いや、多分合ってない。話すことは難しいと思う、と直感で分かった。だからやっぱり合ってない界隈の人たちのやっていることを「うらやましい」と思う必要なんてないんだなぁと改めて感じたし、最近私の素直な感覚(比較的静かで深い感じ、かつギャグが好き)を出していたところ、そこにつながる人たちと心地よいつながりを持ちはじめていることで、私は、彼女のいる世界(ももちろん素敵だけど)よりも、静かで深みのある世界の方が実際気に入っているし安心する、そちらの界隈で力を発揮していきたい、と確信をもって思えるようになってきたのもある。

そして、彼女のいる世界と私のいる世界が分断される状態でなくて、うまく相互作用をもって関わっていけたらいいなと思ってる。

彼女のことは羨望のまなざしで嫉妬心もありつつ見ているけど、その友人はすごくおもしろいし努力家だし結局好きで、友だちであることは全然変わらない。ただ、私はちょっとそういう気分になって、その気持ちをたどりながら文を書きたいな~って思っただけ。

こんなことを書くきっかけをくれた友人に感謝しながら、自分の今から歩む道の感触を足の裏に心地よく感じながら、今ここを進んでいこうと思った、という話でした。

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