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川越、この街が好き

私が大学に入学するまで住んでいた埼玉県鶴ヶ島町 (現在の鶴ヶ島市)。その南東隣には川越市が広がっています。

小さいころから普段の買い物は鶴ヶ島町内か鶴ヶ島町の北隣に広がる坂戸町 (現在の坂戸市) の商店街に行っていました。

そして年に数回、ちょっと気合の入った買い物は川越市の丸広 (まるひろ) 百貨店に行くのが恒例でした。私たちは単に「丸広」と呼んでいて、友達に「丸広に行ってきたよ」と言われるとなんとなくうらやましくなり、今週末は丸広に行こうと両親から言われるとなんとなくわくわくうれしかった思い出があります。

丸広の屋上には当時、屋上遊園地があり、そこで遊ばせてもらうのも楽しみの一つでした。屋上遊園地は最近まであったようですが2019年9月に営業終了したとのことです。

丸広百貨店川越店は1957年開店だそうです。当時、丸広は地域随一のデパートでした。

私が小学校高学年になったころ、母と兄と3人で丸広に買い物に来ました。私と兄は当時流行っていた鉄道模型に夢中で、勝手に模型売り場に行ってしまい母とはぐれてしまいました。

困った母は館内放送で呼び出しをかけたそうですが、しばらくまっても全然反応が無いので、「子供たちが母親を探してほしいとたずねて来たら、怒って先に帰ったと伝えてください」と係の人に告げて先に帰ってしまいました。

鉄道模型に夢中だった私たち兄弟は、しばらくして、ふと母親からはぐれていることに気がついて「これはまずい。絶対怒って先に帰ったはずだ。」と二人でびくびくすごすご家に帰ってこっぴどく叱られました。

携帯もない時代、のどかな時代の出来事ですが、それだけ丸広が子供たちの心を鷲づかみ?にしていたということです。それにしても友人の一人や二人丸広に来ていてもおかしくないはずなので、私たちが丸広の館内放送で迷子扱いになっていたのがばれていないか、しばらくヒヤヒヤでした。

そんな丸広だけでも魅力的な川越でしたが (というか、丸広だけしか知らなかった)、川越市内の高校に通うことになり、川越大好きの日本史の先生に川越の歴史と魅力をたたき込まれ、友人たちと学校帰りやホームルームの時間に川越の街を徘徊し探索するうちに、ますます川越に対する誇りと愛着が生まれました。

川越市について今あらためて調べてみると、私の知らなかった歴史や見どころがまだまだたくさんあることがわかります。私は高校時代いったい何をしていたんだと思うぐらいです (せっかく毎日川越に通っていたのに川越を堪能する機会を活かしきれていなかった。。。)

日本に帰ったらぜひあらためて川越を歩いてみたいと思います。

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