本気で4分33秒を演奏するとこうなった

演奏活動を始めた頃の夢の一つ。


それはジョン・ケージ(1912-1992)の4分33秒を本気で演奏すること。


4分33秒は、アメリカの現代作曲家ジョン・ケージの代表作で1952年にニューヨークにて初演が行われた。現代音楽の傑作とされるが、その奇抜さゆえ初演ではセンセーショナルな話題を巻き起こし、その後作品はその芸術的価値が認められて高い評価を得ており、今日大変ポピュラーな作品として知られている。


なにが奇抜なのかといえば、要するに4分33秒の演奏時間中、奏者は一切の演奏行為を行わずただ沈黙が流れるだけだ。


観衆はただ周囲の環境音を音楽として聴くことになる。


初演を聴いた聴衆は戸惑い、ブーイングさえ発生したという。


著名なピアニストである、クリスチャン・ティメルマンが日本でのリサイタルでアンコールピースとして演奏したことがある。それほど今日有名な作品となっている。


この時、その沈黙に耐え切れなくなった、この作品を「知らない」一部の聴衆から途中で拍手が起こったという。


その後、この作品を演奏する動画や録音がネット上におびただしい数がアップされるようになっているのが今日の現状である。


しかし、ポピュラーすぎるがゆえ、今日多くの演奏家がクラシックの会場でこの作品を演奏する場合、「ああ、あれね」という、やや食傷気味の反応となってしまう。


これが多くの演奏者がこの作品を自らのプログラムに取り入れる際に躊躇せざるをえない問題の一つとなってくる。


実際に知り合い関係の演奏家に片っ端から当たったが、なかなか演奏経験者が見つからなかった。


「え?あれをやるんですか?勇気ありますね。私にはとてもそんな度胸ないです」


そんな中、一人だけ演奏経験者がおり、話しを聴くことができて大変参考になった。と、同時に勇気をもらえた。この曲を演奏するには鋼鉄のような強靭なマインドが求められるからである。


どうせ演奏するなら、初演を聴いた聴衆が感じたであろう驚きと会場の雰囲気を出来るだけ再現したい。


指揮者フルトヴェングラーは語った。


「演奏とは再創造である。私も君たちオーケストラの諸君もベートーヴェンの交響曲のことをよく知っている。しかし、聴衆にはそのことを悟らせてはならない。今、この瞬間にこの作品が誕生したかのような印象を与えなくてはならない」


正にその感覚が欲しかった。


そこで、演奏するのはあえて非クラシック音楽の場を選んだ。


全員がこの曲を「知っている」場合、「ああ、あれね」という反応となる可能性が高い。


逆に全員がこの曲を「知らない」場合、オリジナルを知らない以上、それは単なるジョーク、ネタにしか写らず、ただひたすらアウエイになって終わりである。


理想はごく一部の人だけが「知っている」状況といえるだろう。「これって冗談?」という雰囲気の中、一部の聴衆が「いや、ジョン・ケージという作曲家が実際に作ったれっきとした曲だよ」と証言してもらえるのが理想といえるだろう。


私が毎月定期的に出演しているチャリティ形式の音楽会がある。


そこにはジャンルを越えたアーチストが集まり、パフォーマンスを披露する。


ロック、ジャズ、ボサノバ、朗読、カントリー、ヨガ、民族系、フォーク、演劇、魔術、クラシックなど実に多彩な芸達者のパフォーマンスが楽しめる場だ。


この場で4分33秒を演奏する。


そのためには、「コイツならこんな曲を演奏しても、まあ納得」という雰囲気作りを一年かけて行った。いわば、アラン・ダーギンの「ヒッチハイク」など4分33秒を演奏するための前座のようなものだ。


「初演時の衝撃」を再現しやすくするための「聴衆の教育」。


全く初めての場、全く知らない聴衆の前でこの作品を演奏してもおそらく意味をなさずに何もならない。


なので事前にリサーチを行いこの曲に関して予備知識を持っていそうな人間だけにピンポイントで事前説明を行い、できれば「知っている」人間側に入ってもらい「証言者」となってもらう。


次に、実際にこういう作品が存在するのだということを説明する動画を作成しプロジェクターで流しながら演奏する。
作品に対する予備知識がないと思われる聴衆のいる演奏会で演奏する場合、こういう動画を作成し演奏するのは非常に有効であることがわかる。
字幕はなるべく控えめに、NHKの「名曲アルバム」程度の字数が望ましい。さらに実際の演奏動画全曲入れることによって、ストップウォッチの代わりになり各楽章の切れ目を演出しやすくなる。
この作品を演奏しようと考えている奏者におススメしたい手法である。


さらにペータース社から実際に出版されている楽譜を当日用意することによって、より実在性を証明する材料となる。


現在、楽譜は2種類のエディションが存在する。最初に出版されたものは1ページの中に楽章とTacet(休憩)とだけ書かれたもの。


そして1952年のデヴィッド・チューダーの初演を受けて出版されたもので、チューダーが実際に演奏した各楽章の演奏時間が書かれたものである。私が入手したのは後者の方。


人類が音楽というものを記録するようになった最古の時代が古代ギリシャ。以来、2000年以上にわたっておびただしい数の音楽作品が生まれた。


単旋律から副旋律へと、そして和声の発達による様々なメロディが多くの作曲家によって創作された。1オクターブの中には12個の音があり、それらの組み合わせによってメロディが完成する。


しかし、ここまで多くの音楽作品が生み出されると、いずれすべてのパターンはさすがに使い尽くされてしまう運命にある。


「バッハとモーツァルトとベートーヴェンの3人によって、いいメロディは全部使われてしまっている。それ以降のメロディは以前に生みだされたものを少し変えただけのものしか出てこない」


とまで言う人もいた。


いささか極端な意見だとは思うが、音楽というものが常に発達するものであるならば、いつしか旋律というものに頼ることにはいずれ限界が訪れるわけである。


それに対し現代音楽が提示する形は無調であり、一聴するとバーバリスティックである。いわば原始への回帰なのではないか?とさえ思いたくなる。


曲がり角に立たされた音楽の目指す方向性は今、限界を迎えてあえて原点回帰しているのかもしれない。


同様にケージが唱えた「無音というものは存在しない」という理屈。これも現代音楽が今日突きあたる問題に対する一つの答えの提示だと考えられる。


ケージはすべての外音をシャットアウトした無音室に入った時に感じたという。


彼が耳にしたのは、耳鳴りであり、体内に流れる血液の音、そして空気の渦巻く音。


耳という器官がある限り「無音」という現象はありえない。


このコンセプトを楽曲として表現したものが4分33秒だ。


演奏会において例え楽器などの発する音がなかったとしても、そこには聴衆のざわめきや空気の動きなど様々な環境音がある。音楽を聴こうという意志の元、聞こえてくる物音、それらはその時すべてが音楽となるのだ。


それがジョン・ケージの主張である。


ヨルング族の長老であるジャルー・グルウィウィが言った言葉を思い出す。


ジャルーが天を指差し「何がある?」と問いかける。


問いかけられた者たちは「何もない」と答えた。


それに対して彼はこう答えた。


「よく見てごらん。鳥が飛んでいる。雲がある。空気もある。その向こうには星や太陽がある。心を閉ざしてはいけない。心の目や耳で感じなさい」


「無」に対して意識を向けることによって初めて見える、初めて聞こえるものがある。


「無」を「死」という言葉に置き換えることも出来るかもしれない。


「無イコール死」を意識するからこそ「生」を感じることができる。


つまり、そこには「存在」という現象の原点をも考察させる哲学的な意図もあるのかもしれない。


ジョン・ケージの4分33秒はこういうことを教えてくれている。


この作品が現代音楽の傑作と賞賛されるのはこういう理由なのだろう。


実演をやってみて、初めてケージの意図するものを感ずることができた。


確かに聴衆は当初戸惑いを見せた。しかし、徐々にそれを受け入れていく過程。


ある程度反感的なリアクションは想定内であったが、思ったほどではなかった。


しかし、演奏中の4分33秒が何と長く感じられることか。


あたかも一時間くらいのシンフォニーを丸々演奏したかのような感覚だ。


ケージがこの曲に込めた思い。それは「静寂」であり「祈り」の精神である。


なので、私はあえて、この曲を広島豪雨被害救済チャリティの音楽会に選んだ所以である。


思えば、私がこの被災地救済音楽会での「聴衆の教育」を始めた2017年9月。あれが私の4分33秒の演奏開始だったのかもしれない。


そして、2018年8月26日にやっと演奏を終えることができた・・・・。


今はそんな感覚を覚えている。


2018年8月26日の実際の演奏動画。


「マイクのボリュームが上がっていない!」


「え?」


「あれ?あれ?」

「こういうのがあるっていうのは聞いたことあるけど・・・」


「テレビだったら放送事故だよ、これ」(←これ最優秀リアクション賞ものである!)


など様々なリアクションを聴くことができる。



今回の演奏に対するレビューの声


「 斬新でありました。
動画があったおかげでみなさん混乱せずに済みました。
無音も音がある!すげー納得でした。 」


「 動画はほんと秀逸でありました。
何が起こっているのか次第にわかってきて、完全に明確になる。
どうリアクションしてよいのかがわかってくる。
だんだん笑えてくる。
逗子でも演奏ぜひ。まだ知らない人たちの反応みるのがたのしみです。 」


「 やったんですか。4分33秒!お疲れ様です。 聴きたかったですねえ。多分バカ受けしてたと思います。 」


「 まさか、実際に演奏する人がいたとは!!
もう、その場に居たかったです。 」


「 知ると知らぬの差をこれほど実感する体験って、そうあるものではないよなーと。 」


「 あ、すごーい!大成功ですね。温かい雰囲気で良かったですね! 映像も作戦勝ちですね」


指揮者の大友直人夫妻に4分33秒の演奏の報告をした時の反応。


大友直人氏はスコアを興味深く見入っていた。


大友夫人の反応は対照的で、笑い死にするのではないかというほどウケていた。



背景動画に当日の音声を合わせたもの


聴衆がどの場面でどう反応したのかがよくわかる。



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