見出し画像

企業は調子に乗るなって話

「社会は厳しい」

当然のように皆が言うけれど、果たして本当にそうなのだろうか。


色々な人が、様々な場面で「社会は厳しい」ということを話しているが、「何がどのように、どういう理由で厳しい」というような、具体的な話をあまり聞いたことがない。


考えてみると、この「社会は厳しい」という言葉のほとんどが、仕事に関係する場面で使われている。

仕事以外の生活だって、「社会」の一部であるはずなのだが、私生活で大変なことが起きても「社会は厳しいなぁ」とは、あまり言わない。

どうやら、「社会は厳しい」の「社会」とは、プライベートとは切り分けられた、仕事絡みの人間生活のことを指すようである。 

僕自身は、最近になって「社会そのもの」はそんなに厳しいものだとは思わなくなった。

だからといって、決して楽に生きられるようになったわけではなく、脳みそが沸騰しそうなほどのストレスと格闘し、ヒーヒー言いながら何とか毎日生活をしている。 

以前はそれを、社会が厳しいせいだと思っていたのだが、今は

「社会が企業に甘すぎる」せいだ

と感じるようになったのである。

加えて、
人々が勝手に「社会は厳しいものだ」と思い込み、その認識を広め合っているせい
でもあると思っている。

簡単に表すと、以下のとおりとなる。

労働者、企業から粗末に扱われる

労働者、単に自分が接点を持った人や企業から粗末に扱われただけなのに、「社会は厳しい」と思い込む

仲間内で「社会は厳しいからな」と言い合うようになる

次の世代にも「社会は厳しいんだぞ」と刷り込むようになる

世の中全体に「社会は厳しい」という認識が浸透する

「労働者は粗末に扱われるのが当たり前」という風潮ができあがる

こういう図式なのだと思うのだ。
※便宜上、企業の役員や管理職などの「人を管理する側」の人のことも「企業」に含んでおります。

企業にとって、「社会は厳しい」という認識は好都合だ。

なぜなら、労働者を多少手荒に扱っても、彼らは

「この企業ひどいなぁ」

ではなく、

「社会は厳しいなぁ」

と思ってくれるわけなので、社会のせいにしながら労働者をこき使えるのである。

多くの企業は、この「社会は厳しい」という認識の上に胡座をかいて、完全に調子に乗っている。


上記で挙げた図式が長く続いてきた結果、世の中にはすっかり奴隷的思考が根付いてしまった。

その証拠に、「こんなことがまかり通っているのは明らかにおかしい」というようなことでも、

「社会は厳しいから」
「そういうもんだから」

で片付けられていることがたくさんある。

例えば、
求人の内容が嘘ばっかりであること。

  • 入社してみたら求人票に記載している内容と全く異なる仕事をやらされたとか

  • 残業なしと謳っていたのに実際は残業まみれとか

  • 土日休みというから入社したのに平日休みだったとか

  • 転勤なしのはずなのに転勤させられたとか

こういうのがもう、当たり前のようにあるのだ。

そして、これについて愚痴でもこぼそうもんなら、周囲からは

「でも、社会ってそういうもんだよ」
「このご時世に雇ってもらっているだけありがたいと思いなよ」
「俺なんてもっと大変だったし」

というような、奴隷のやまびこが返ってくる。

いやいや、「そういうもん」とかじゃなくて、これはもう詐欺なのだ。

逆に労働者が経歴を詐称して採用されて、

「でも社会ってそんなもんでしょ」

なんて言っていたら、一発でクビになるだろう。

ところが、企業側がこういう詐欺求人をハローワークに出していても、せいぜい是正指導くらいで終わるのである。 

一発アウトで廃業くらいのペナルティがないと、本来はおかしいのだ。


また、

「リモートワーク可(設備的には可能だけれど、させてやるとはいっていない)」
「正社員登用あり(一応制度はあるけれど、可能性はほぼゼロ)」

こういう「とんち」みたいな記載もよくある。なぜこれが普通に通用しているのか。

応募者側が

「司法試験合格(するつもりでいる)」
「TOEIC900点(を取るポテンシャルはあると自負している)」

とか言ってきたらどうだろうか。とんでもないネオ一休さんが応募してきたと思うだろう。
それと同じようなことを、企業は平気でやっているのである。


そして、
実際に働き始めてからも、ことあるごとに労働者を粗末に扱う企業が多い。

  • 休日に研修を入れられてその分は無給とか

  • 変なイベントに動員をかけられて半強制的に無給で休日を潰されるとか

  • 残業しなきゃ終わらない仕事量なのに定時後は職場のエアコン使用禁止とか

  • 自腹で資格を取らされるとか

  • 自腹で名刺を作らされるとか

  • 自爆営業とか

  • 残業代が満額出ないとか

  • 社用携帯に24時間電話がかかってくるとか

  • 無給で飲み会の運営をさせられるとか

もうキリがないくらい、粗末に扱われていることがたくさんあるのだ。 

奴隷温泉に肩までどっぷり浸かっている人たちは何とも思わないのかもしれないが、これは明らかに異常だ。

それでいて、労働者側には
「面接の時に待遇面の質問をするのはマナー違反」
などという、ふざけた作法まで押し付けてきやがる。

おいおいちょっと待て、民間人が宇宙に行ける時代だぞ。AIが宿題をしてくれる時代だぞ。
こんな白骨化したようなクソマナーをいつまで続けるのか。

よく考えてみてほしい。就職というのは、簡単にできるものじゃない。
どこの企業で働くかというのは、少なからず人生を左右する大きな決断なのだ。

それに、世の中の人の多くが、生活のために仕事をする。
家族を養うため、自分の生活を維持するため、嫌な仕事も頑張ってやるのだ。

当然、気になるのは、給料や休暇といった待遇面だろう。
むしろ、それ以外どうでもいいくらいだ。

それを「マナー違反」と言われてしまったら、もはや聞きたいことなんてないのである。

人々が気持ちよく過ごすために、マナーがあるんじゃないのか。
このマナーのせいで、気持ち良く過ごすどころか、人生が揺れ動くのだ。

誰が言い出したのかは知らないが、法律違反や倫理違反をしている企業を放置しておいて、「待遇面を聞くのはマナー違反」なんて、ちゃんちゃらおかしい。


さて、これらを踏まえたうえて、もう一度問いたい。果たして、社会は本当に厳しいのだろうか。

いいや、今の社会は甘い(企業に)。

だって、こんな悪徳企業たちが、日本のスタンダードみたいな顔して、でかい態度で存在し続けられているのである。

そればかりか、

「これを受け入れられないやつは社会不適合者」

という空気を作って、エラそうにしていられるのだ。

我々労働者だって、「社会」を構成する一員だ。

こういう企業たちが「社会は厳しいなぁ」と思ってしまうくらい、
労働者側が毅然とした態度で接する
ことでしか、世の中は変わらない。

そして何より、

「社会は厳しいもんだ」と、この環境を受け入れている労働者も、こういう悪徳企業が存在し続ける一つの要素になっている
ということを自覚しなくてはならない。

「ずっとそういう環境にいたから、これか普通かと思っていた」

ではないのである。ちょっと誇らしそうに言うな。本当にダサいことなんだから。


企業が調子に乗らずに、労働者を対等に扱うだけで、社会はかなり過ごしやすくなる。

そうすれば、そりゃ天国ではないけれど、
「社会って実はそんなに厳しくないかも」
くらいにはなるのではないだろうか。

今は、
企業は労働者を粗末に扱うことに慣れすぎだし、労働者も企業に粗末に扱われることに慣れすぎ
なのだ。

労働者がもっと怒らないと、生きるのがどんどん窮屈になっちゃうよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?