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厳しくして成長する人なんて一握りだって話

令和になった今でも、

「見返してほしいから、あえて厳しく怒る」

というような、反骨精神に頼った指導をする上司が存在する。

何の根拠もないので完全に僕の決めつけだが、このような上司がいう「あえて厳しくしている」という理由は、9割9分9厘が嘘だ。

実際は、単に感情を抑えられずに怒りをぶつけているだけなのだが、それを認めてしまうと印象が良くないので、

「部下の成長を念頭において、あえてこういう態度を取ったんですよ」

と、理由を後付けしているだけなのだ。

そもそも、部下がどんな人間なのかによって、指導方法は変わってくる。

ひとりひとりの特徴を理解し、「この部下は厳しく言ったほうがいい」と見極めたうえで指導している上司が一体どれくらいいるのだろうか。

「あえて厳しくしている」というのは、ほとんどの場合、アンガーマネジメントができない者が自分を正当化するための言い訳にすぎないのである。


ーー「アンガーマネジメントができない」で思い出す、1つの出来事がある。

僕がまだ大学1年生のころ、大学のOB経由で、ドラマのエキストラのバイト募集があった。

当時高い人気を誇っていた、全国放送のドラマだった。

報酬は微々たるものだったが、華やかなテレビの世界の裏側を見たいという理由で、数人の同級生とともに志願したのだった。

現場は小さめのライブハウスのようなところで、エキストラは全部で30人ほどいたと思う。

大学のOBのツテで来たのは僕ら数人くらいで、あとはエキストラ事務所に登録している人ようだった。

「それじゃ準備ができるまでここにいてくださーい。声が入っちゃうので、静かにしていてくださいねー」

気の良い兄ちゃんという感じのADさんに案内されると、もうすでに撮影は始まっていた。

テレビで見たことがある俳優さんが目の前にいて、ドキドキしたのを覚えている。

俳優さんたちは、カメラが回った瞬間に役に入りこみ、カットがかかるとすぐに素に戻る。
なんでこんなことができるんだろうと、僕は感心しながらボーっと眺めていた。

あるシーンのカットがかかったタイミングで、

「おい、オラァァァ!」

と、怒号が響いた。

見ると、中年のカメラマンが、若いカメラアシスタントのお腹に前蹴りを入れたところだった。

アシスタントの人は、「すません!」と言ってしばらく体をくの字に曲げて痛みに悶えていたが、すぐに元の位置に戻った。

カメラマンは舌打ちをして、不貞腐れたような顔をして再びカメラを構えた。

おそらく、アシスタントの人が何かヘマをしたのだろうが、大勢の前で大人が大人に暴力を振るう光景を見て、僕は固まってしまった。

しばらくすると、僕らエキストラの出番がやってきた。

全員、“ライブ会場に押し寄せる群衆”の役なのだそうだ。

ただ、ステージに向かって我先にと走って来ればいい。とのことであった。

まずはリハーサル。

合図と同時に、わーっと走ってステージ前に殺到する、僕らエキストラたち。

スタッフ「はーいそんな感じでー。戻ってー」

僕らがゾロゾロと戻っている横で、最初に僕らを案内してくれたADさんが、ディレクターらしき人にグーで殴られた。

「てめぇこんなに人いらねぇだろ!減らせ!!」

ゴツッという音が聞こえるほどの強さだったが、ADさんは、殴られたばかりとは思えないくらい落ち着いた感じで、

「すんませーん、ここからそっちにいる人は、一回外れてくださーい」

と、数人を隅っこに移動させた。


もう一度リハーサルをしたところで、今度は先程のカメラマンが照明さんを怒鳴りはじめた。

「こっちに光が入ってくるだろこのタコ!」

「いや、指示通りにやっているだけだけど…」

「いいから角度変えろ!!変えろよ!!」

照明さんはふぅ、とため息をついて、少し移動した。

先ほどディレクターもそうなのだが、怒っていた人たちに共通するのが、「ただ怒っている」という点だ。

そりゃ怒っているんだから当たり前なのだが、そういうことではなくて、その怒りに何の意図も感じないのだ。
若手を成長させようとか、いいものを作ろうとか、緩んだ空気を引き締めようとか、そういう意図は一切感じられない。

「ただ、怒りやストレスを発散させているだけ」
の怒り方なのである。

そして、周りの人の様子から、そのような怒りは、この現場では当たり前のように存在していることがわかった。

照明アシスタントさんも、カメラアシスタントさんも、無表情で立っている。俳優さんたちも、気にせずにマネージャーさんらしき人と喋っている。監督も、他のスタッフも、全く気にしていない。
いつものことだ、という感じなのだろう。

結局、同じように「わーっ」と走るシーンを5、6回ほど撮って、すぐにエキストラの出番は終わり、解散となったのだった。


「あえて厳しく恐る」という人を見るたびに、この日のことが脳裏に浮かぶ。

実際、明らかに「ただ怒りやストレスを発散させているだけ」だったこの現場のカメラマンやディレクターだって、もしパワハラで訴えられたとしたら、

「指導に熱が入った」
「成長を期待して厳しくした」
「良い作品を作りたいという気持ちが……」

と、保身のために言い訳をするだろう。

もしかしたら、「くそ、いつか見返してやる」と、本当に反骨精神を抱き、成功する人もいるのかもしれない。

辛い思いをすることで、「体で覚える」ということができる人もいるのかもしれない。

でもそれは、決して「厳しくした人」や「厳しい環境」の功績ではない。
厳しい環境をエネルギーに変えることができた、その人自身の功績である。

その成功事例を、「感情のままに怒る人」や「劣悪な労働環境」が存在していい理由として使ってはいけないのだ。

あれから月日が経って、世の中の認識は大きく変化した。
さすがに、あの制作会社の労働環境は変わっただろうか。

もちろん、他の番組の撮影現場はあんな環境ではないのだろうが、僕はあの撮影に参加してからしばらくの間、テレビを見るたびに、

「この番組のスタッフさんはキレられていないだろうか」

という余計な視点が入ってくるようになり、素直に番組を楽しめなくなってしまったのであった。

若いころの、煮え切らない思い出の1つである。

(ちなみに、後日オンエアをみたところ、僕は全く映っていなかった)

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