見出し画像

【短編小説】Didactic Japan


「地震や津波や原発事故で、あなたが悲しい思いをしたのは、分かるわ。でも、だからって人に迷惑をかけてはいけないの。そして、誰も恨まないで欲しいの。世の中には、どんなに理不尽でも、止めようがない出来事が沢山あるの。だから、お互い許し合って、謝罪と感謝の心を持つことが大事なのよ。恨みでは、人は幸せになれないの。」

あの日の放課後、面談室の外で雪菜を待つ私の耳元に、担任教師である萱野の声が聞こえてきた。

※※※※※※※
「おっはよー。ねえ、萱野のX見た?」

背中を勢いよくポンっと叩かれ、私は後ろを振り返った。同級生の雪菜が、スマホ片手に笑顔で立っている。

「え?萱野のツイート?見てないよ。」
「あの人さあ、今日も偉そうなリツイートしてたよ。見て、これ。」

雪菜のスマホを覗きこむ。

「福島の皆さん、今度、原発事故が起きたら終わりですよ。まだ原発続けますか?」

続いて、福島の子どもたちが開発したスナック菓子を宣伝するツイートがリツイートされている。

「てめぇが、東京で福島で作られた電気消費して生きてきたくせに、よくこんな台詞、リツイート出来るよね。」

雪菜は、原発事故が起きた年の4月、福島から東京に自主避難してきた。転校してきた直後、黒かった髪は、現在では赤茶けた色に変化している。

「萱野の奴、私の人生は、出会った人を幸せにするための人生だとか、よく言うけど、自己陶酔に浸ってるだけ。他人の生命犠牲にした生活で、便利さ享受して生きてきた自覚もないくせにさ。」

「・・・ごめん。私には、難しくてよく分かんないや。」

「この間、進路相談の時に言われたんだよ。萱野から。私はあなたを心配してあげているって。」


「そうなんだ。教育熱心だもんね。萱野。」

「自主避難組だから、特別に気にかけてるアピールがウザいよ。善人面して良いアドバイスしてる立派な教師のつもりでいるだけでしょ?」

「そうかな。」

「あんな奴に、震災や原発事故で家族がバラバラになった人間の気持ちなんか分かるもんか。」

「・・・私も分からないな。」

「瑠紗はいいんだよ。分からない時は、分からないって言ってくれるから。本当は分かってないのに、いかにも理解してるような顔して意見されるのが嫌なの。」

私には、雪菜の抱えてきた物の大きさなんて、分かったりはしない。毎日隣の席で授業を受けていたとしても。だけど、原発事故が彼女の何かを大きく変えてしまったことだけは理解できた。

「日本には傷つけていい人間と、傷つけちゃいけない人間の2種類がいるんだよ。私や原発事故処理の現場で働く兄貴は人から傷つけられても当然の人間。でも、ご立派で優秀で善良で人の幸せを願ってあげている萱野は違うんだろうね。」

「・・・・そんなこと。」

「授業始まるわよ。教室に入りなさい。」

始業のチャイムが鳴り、萱野の声に促されて、私と雪菜は教室に入った。授業が始まると、後ろの席からメモが回ってきた。

「萱野は、ビッチで男とやりまくってる。」

メモに書かれた文字は、雪菜の文字そっくりだった。隣の席の雪菜を見ると、その手には福島の子どもたちが開発したスナック菓子が握られている。雪菜は、スナックを全て口に放り込むと、その袋を握り潰して、窓の外に投げ捨てた。

「遠藤さん、何してるの!?」

雪菜の行為に気付いた萱野は、教壇から声を張り上げた。雪菜は、萱野の言葉を無視して窓の外を眺めたまま、頬杖をついている。

「どうにも、出来なかったとか。原発事故は防げなかったとか、ふざけんな。言い訳しやがって。大人のくせに。無責任。」

小さな声で、雪菜が呟く声が聞こえた。
その日の放課後、雪菜は萱野に面談室に呼び出された。そして、翌週に赤茶けた髪を黒髪に戻し、その後一度も萱野のツイートを話題にすることがないまま、高校を卒業した。

あれから12年、雪菜は就職先で知り合った男性と結婚し、子どもを出産した。

土曜日、子連れの雪菜とランチを楽しんだ帰り道、
駅前の広場ではプラカードを持つ人たちが集まり、スピーチをしていた。中年から白髪混じりの年配が集まった集団の周りには3、4人の警察官が立ち、若いカップルが物珍しいものでも見るような顔で、クスクスと笑いながら、スピーチを聞いている。

「原発、処理水の海洋放出が始まったね。」
「そうね。」

私が、海洋放出の話をすると、雪菜は胸元のスリングに包まれた赤ん坊をあやしながら、相槌を打った。

「取り返しがつかないことして、ごめんね。もしいつか、あなたに恨まれる日がきても、私はずっと愛しているよ。生まれてきてくれて、ありがとう。」

スピーチに耳を傾けながら、そう呟いた雪菜の横顔は、窓の外にスナック菓子を投げ捨てた高校生の自分が、大人にかけて貰いたかった言葉を赤ん坊に伝えているように見えた。


この記事が参加している募集

私の作品紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?