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【小説】ひまわり色のワンピース

「おはよう」

鈴を転がすような声がした方へちらりと目をやると、クラスメイトの女子が登校してきたところだった。すぐに数人の女子が近寄っていって、「おはよう」合戦が始まっている。

輪の中心で微笑んでいる彼女は他の女子と比べるとやや大人びていて、整った顔立ちをした美少女だ。カラフルなTシャツにデニムを合わせたカジュアルなスタイルが多い同級生たちの中で彼女は一人、裾がふわふわと揺れる紺色のワンピースを着ていた。小学生が着るにしては少し大人っぽいデザインだが、彼女には似合っていた。

「あ、塁くん。おはよう」

「うるせー。下の名前で呼ぶんじゃねえ」

突然声をかけられたと思ったら名前を呼ばれたので、ついぶっきらぼうに言い返して目を逸らしてしまう。

彼女が少ししょんぼりした様子で「ごめん……」とつぶやくのが視界の端に見えたし、他の女子が「ちょっとー。あんた、何なのその言い方!」と騒いでいるのも聞こえてきたが、どうしようもないじゃないか。

塁は、自分の名前が嫌いだった。

――俺は男の中の男になるんだ。強くなって、弱いものを助ける男に。それが心情だった。なのに“ルイ”という響きはどこか女性的で、自分にはひどく不釣り合いなように思えていた。

それだけではない。塁にはもう一つ、自分の名前が嫌いな理由があった。

「あんた、感じ悪いよ! 瑠衣に謝んな」

「わたしはいいから。村上くん、ごめんね」

瑠衣はそう笑って、ワンピースをふわふわさせながら自分の席へついた。

彼女は塁と同じ、「ルイ」という響きを持つ人間だった。ただそれだけ、名前の読みが同じだというだけで周りの友達からはずいぶんからかわれたし、なんならちょっとくすぐったい。それが嫌で、瑠衣と同じクラスになった5年生からは特に、塁という名前が嫌いになった。特に、彼女から呼ばれるのが嫌だった。



昼休み、塁たち男子は晴れていれば校庭で、チャイムぎりぎりまで走り回って遊ぶのが日課だった。その日は男子と活発な女子数名が回転ジャングルジムの周りに集まって、思い思いの場所にポジション取りをしていた。

塁はあえてジャングルジムの中には入らず、外側にしがみつくことにした。その方が回転を直に感じられてスリルがあるし、何より男らしいだろうと思ったからだ。安全な場所で縮こまっているなんていくじなしのすることだ、と。

校庭のすみっこの方にひっそりと設置された回転ジャングルジムは、ところどころ赤いペンキが剥げて、中の鉄パイプの色がちらりちらりとのぞいている。もうずいぶんと古いものらしい。「危険だ」という理由で全国的に撤去が進み、今はもうほとんど見る機会がなくなった遊具だ。なぜいまだにこの学校に残っているのかは定かでないが、先生からは「回しすぎるなよ」と釘を刺されていた。

塁はジャングルジムをぎゅっとつかむと、次に来るだろう衝撃に耐えるべく体をまるくした。

「いくぞー」声がかけられるとゆっくりとジャングルジムは回りだし、やがてどんどんスピードをあげていく。先生が見たら、きっとすっ飛んでくるだろうことは容易に想像がついた。ものすごい速さで視界が回転し、もはやものの色やかたちをはっきりと認識することはできない。

回る、回る、回る。

何度目かの回転のときだった。紺色の服を着た誰かが視界に入り込み、こちらに向かって声をあげた。

「塁くん、大丈夫ー!?」

集中力が途切れたのか、なんだったのか。汗ばんだてのひらがぬるりと滑った次の瞬間、塁の体は回転ジャングルジムを離れ、そのまま空に向かって放り出された。

きゃあ、とかなんとか声が聞こえた気がする。やべ、と思った瞬間目の前に現れたのは、紺色のワンピースと驚いた顔をした瑠衣。避けようもなく、2人はそのままものすごい音を立ててぶつかった。



「いっ……てえ」

数秒だろうか。激突のショックで記憶が飛んでいる。回転ジャングルジムからふっ飛ばされて、そのままの勢いで瑠衣にぶつかって――塁は、数秒前に起こった出来事をはたと思い出して飛び起きる。

「おい! 大丈夫か?」

その途端、やけに違和感があった。確かに自分から出たはずの言葉が、自分のものでないような錯覚を覚えたのだ。すると目の前で倒れていた男子がうっすらと目を開け、焦点の定まらないぼんやりとした顔つきで言った。

「う……ん。大丈夫。塁くんは?」

その瞬間、相手の方もおかしなことに気づいたのだろう。口元をおさえて目を見開いている。次にこちらの顔を見て、「えっ?」と声になりきっていない声を上げた。

塁の目の前にいるのは、塁だった。

思わず視線を下に落とすと、見覚えのある紺色のワンピース。生まれてこのかた一度も着たことのないワンピースを、今、自分が着ている。これはいったい、どういうことなのか……

まったく信じられないことだけれど、一つの結論にたどり着く。

「もしかして俺たち……」

「もしかしてわたしたち……」

「「入れ替わってる!?」」



あの後どうやって残りの授業を乗り切ったのか記憶が曖昧なまま、なんとか家に帰ってきた。――家、といっても、瑠衣の家だが。

「とりあえず今日はお互いのふりをして、お互いの家に帰ろう。わたしは塁……村上くんの家に、村上くんはわたしの家に行って」

頭の中で、瑠衣の言葉を反芻する。こんなことになったっていうのに瑠衣はやけに落ち着いていたし、なんなら張り切っているようにすら見えた。もっともたぶん、それは自分の思い過ごしだろうが。

「お父さんもお母さんも仕事で夜まで帰ってこないはずだから、やり過ごすならさっさと部屋に入って寝たふりするのが一番かも」

そう言われた通り、帰宅早々に階段をのぼってつきあたりの部屋を目指す。瑠衣の家に来たのは初めてだったが、迷うことはなかった。瑠衣からおおよその間取りを聞いていたし、つきあたりの部屋のドアには、『RUI』とアルファベットが貼り付けられた木のプレートがかかっていた。

部屋の中は、予想していたよりシンプルだった。女子の部屋といえばぬいぐるみが大量に置かれていたり、レースやフリルが溢れていたりするものかと思っていたが、そんなこともなかった。全体的に淡い水色で統一されすっきりと整頓された室内はどこか大人びていて、瑠衣っぽいなと感じさせられた。

そのときふと、姿見に自分の姿が映っているのに気づく。当然だがそれは“自分”ではなく、裾がふわりと揺れるワンピースを身にまとった可憐な少女だ。

瑠衣は、学校にワンピースではないスカートを履いてくることもあるし、他の女子と同じようにジーンズを履くことだってある。でも一番印象的なのがワンピース姿だった。あの姿がやけに目について、「そんなふわふわしたもん、学校に着てくんなよな」そう告げたこともあった。

あのとき着ていたのは、確か真っ黄色のワンピース。大きなひまわりがたくさん咲いたような模様がプリントされていて、瑠衣が着るにしては珍しいデザインだった。それがますます、塁を落ち着かなくさせたのだ。

クローゼットを開けると何枚もの洋服がかけられていて、その中にはあのひまわり柄のワンピースもあった。ハンガーから外して体に当て、姿見に映してみる。

――うん、やっぱりかわいいな。

不思議と、自然にそう思えた。もしかしたら体が入れ替わったことで、ほんの少し心もシンクロしてしまったのかもしれなかった。そうでもなければ女子を、瑠衣をかわいいなんて感じるはずがない。なんとなく、そう思いたかった。

その次の瞬間には、どうしてもそのワンピースを着てみたい衝動が襲ってきた。着たい、着た瑠衣の姿を見てみたい。今ならそれができるじゃないか――。

ごくり。唾を飲み込もうとしたが、口の中がカラカラでうまく飲み込めず喉だけが鳴った。紺色のワンピースを脱いで、黄色のワンピースを着る。その意味を想像すると、自然と鼓動が早まった。見たいような見たくないような、見てはいけないような……わずかにそんなせめぎ合いがあった後、塁はえいやと紺色のワンピースに手をかける。



「塁くん、大丈夫!?」

視界に飛び込んできたのは瑠衣の裸、ではなく、泣きべそをかいている瑠衣の顔だった。細い視界の中で目が合うやいなや、瑠衣は顔をくしゃっと歪ませて「よかったあ」と声を上げる。――ん、これどういう状況だ?

聞けば、回転ジャングルジムから吹っ飛んだ塁とたまたまその場に居合わせた瑠衣がぶつかった後、塁だけがしばらく目を覚まさなかったというのだ。時間にするとほんの数分間だったようだが、名前を呼んでも頬を叩いても一向に反応しない自分を見つめる同級生の気持ちを想像すると、居たたまれない。

ついさっきまで見ていた光景を思い出しながら、塁は自分の体中をまさぐった。短い髪、低い鼻、骨ばった肩や腕、よれよれのTシャツとハーフパンツ。どこをどう見ても間違いない、“俺”だ。

夢だった。その事実に心底ほっとしながらも、あの不思議な夢に心残りが一つだけあった塁は、まだ心配そうに眉を下げている瑠衣にこう告げた。

「瑠衣。今度あのひまわり色のワンピース、また着てきてよ。本当はすごく、似合ってたから」

一瞬目を見開いた瑠衣は、すぐに笑顔になって頷く。細めた目からこぼれ落ちた涙が頬に伝って、きらきらと光っていた。

今回のお題「回転」「ワンピース」

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