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「当たり前」を伝えることの価値についての話

こんにちは!今日も、自身の経験やインプットの機会を通じ、組織と人にまつわるアレコレをとりとめもなく考えた軌跡をお届けしてまいります。

忘れられないほんの小さな成功体験

2016年9月、私がスペイン・バルセロナのESADEビジネススクールで、世界50か国から集められた約180人の学友とともに、経営学を学びはじめたときの話です。

最初の学期が始まって、いきなりグループワーク課題が出されました。私の配されたグループは、ブラジル人・コロンビア人・インド人・クウェート人・カナダ人・日本人というウルトラレベルで多様性に溢れたグループでした。誰もが(正解・不正解に関わらず)積極的に自分の意見を(無秩序に統率が取れていないかたちで)矢継ぎ早に述べていました。私は純ドメ(旅行程度しか海外経験が無い「純粋に国内育ち」の人、を指す)であり、必死の猛勉強が功を奏して入試こそパスしましたが、語学の実践には恥ずかしながら未だ難を抱えたまま。また、意見を常にオープンにGiveすることでグループに貢献するという異文化そのものに、初めから気圧されていました。貢献はしたいけれど、簡単には切り込むことができない。。。縮こまってしまいそうな、そのときでした。

目の前に現れた次の課題は、数字を含んだ文章問題でした。普通に読んで構造化すれば、小学生でも解ける、加法減法のみの虫食い算でした。ところがそのとき、グループの全員が、時が止まったかのように沈黙しました。状況が良く分からず、私は紙に虫食い算を書き、サラサラと解いてまずは皆に見せました。唖然とする顔を向けられ、一言、「いったいどういう魔法を使ったのか」と。解くプロセスが当たり前すぎて、正直、何を説明したらよい のか分からないままに、英語で(必死に)解き方を解説すると、「天才だ!」と喝采を受けたのでした。

このときのことは、自分の「当たり前」が、異なる背景をもった人々にとってはいかに「当たり前」ではないか、伝えることがいかに価値をもたらすか、ということを学ぶ、ほんの小さな、しかし、大きな意味を持つ成功体験となったのでした。(ESADEのプロフェッサー・プロデューサー陣に、巧妙に仕組まれたプログラムの恩恵を受けることができた、第一歩でした。)

個の違いを活かし集合知を得ることができるか

そんなESADEでの体験を思い出させてくれた、今週末の課題図書は、「多様性の科学」でした。

いわゆる「多様性を推進するために、能力の足りていない人間に下駄を履かせて登用するのか」といった論調は、場所を問わず、未だに、ややもすると、残念ながら耳にすることがあります。しかしながら、本書は、いかにその論理が適当とは言えないものであるかについて、第1章から鮮やかに紐解いてくれます。世界同時多発テロ事件、エベレスト登頂大型事故といった、人の生死に関わる事例を挙げながら、読者をぐいぐいと引き込みます。

人類の進化の系譜すらを踏まえ、人間の本質に向き合う体験を通じて、人類の成功のために必要なことを会得することができる味わい深い書籍です。

企業でDEIを推進される経営者や人事の方はもちろんのこと、ありとあらゆる集団に関わるすべての方にお勧めしたいです。秋の夜長に、是非。お読みいただきありがとうございました!

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