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『亡霊怪猫屋敷』『怪猫トルコ風呂』夏の納涼祭②

化け猫の影を大きく夏芝居   柴田佐知子


まず『亡霊怪猫屋敷』は、理不尽に殺され、「末代まで祟ってやる!」という、超古典的な化け猫もの。
化け猫の描写も基本に忠実で、「燭台の油を舐める」「池の鯉を手掴みで」「アクロバットな動き」など。死体は土壁に塗り込め、しばらくして血の染みが!というやつ。

そして『怪猫トルコ風呂』は、題名と70年代の東映作品と言うことで、内容は察してほしい(9月にDVD発売になるとか。びっくり!)のだが、エロの部分はありつつ、物語としては、化け猫ものと言っていい。
ただし、エロを見せたいからなのか、なかなか祟ってくれない。次々と犠牲者がでるのだが、「早く、祟って!」と思うほどのグロさだった。

かねてより、怪談に必要な要素は「光と影」ではないだろうかと思っており、今回この二作品を見比べてみることにした。

あまりにも違う二作品を比べるのは、どちらに対しても失礼なのは承知の上ではあるが、江戸時代を舞台にしたものと、戦後日本(昭和33年、赤線廃止のあと)を比べてみれば違いがはっきりする。
大きく違うのが、前者は燭台(ロウソク)、後者は蛍光灯であることだ。蛍光灯は、光量という点では優れているものの、広く全体的に明るくするので、影を作ることができない。
一方の燭台は、その周りしか照らすことができないため、影が大きくできる。しかも揺れる影が。

そしてさらに、日本の住宅事情も関係しており、今では珍しい感のある障子が重要となる。障子に映る影が、物の怪の容姿を見せないことで、より不気味さを増すことになるのだ。(余談だが、黒澤明監督は、影の使い方がうまい)

あと、影だけでいいのだから、ディテールがどんなものであれ関係ないので、もしかしたら予算的にも安くつくのかもしれない。

『怪猫トルコ風呂』は、はっきりくっきり怪猫の姿が見えるので、少し興ざめしてしまう。というか、全く怖くない。ただし、エログロナンセンス目線で見ると、結構面白かったりもするのだが。

化け猫の影を大きく夏芝居   柴田佐知子

この「影を大きく」というのも、実物は小さいものを、光と影をうまく使って、障子に表現しているのだと思う。影だけ見せるのが、古来よりの怪談の演出方法なのだ。想像する楽しみを奪うべからず。

『亡霊怪猫屋敷』(1958)
監督:中川信夫
脚本:石川義寛/藤島二郎
原作:橘外男
出演:細川俊夫/芝田新/五月藤江
『怪猫トルコ風呂』(1975)
監督:山口和彦
脚本:掛札昌裕/中島信昭
出演:谷ナオミ/大原美佐/室田日出男/殿山泰司

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