書評「日本の経済政策 小林慶一郎著」中公新書


一 はじめに
 本書は、まず1990年以降の日本経済の概況を振り返り、経済が低迷した原因を探る。1990年代は不良債権問題の処理に手間取り15年間もかかった挙句、2000年以降も不良債権処理の後遺症が人的資本の劣化を招きその後にも影響を与えたとする。そして2000年代から顕在化する人口減少による経済成長の低下と超高齢社会によるデフレ傾向を背景として、①格差拡大すなわち雇用リスク、②将来の財政不安、③ゼロ金利の長期化が長期停滞をさらに助長していると分析している。
二 したがって、これらの阻害要因を取り除けば、日本の経済は好転するはずだと説く。
1 まず、格差が拡大する雇用リスクへの対策として、「給付付き税額控除」の仕組みを導入することを提案している。
2 そして、この30年間、成長のためにあえて財政悪化をもたらす拡張的な財政政策の選択をした結果、財政への不安が増幅し経済成長を悪化させてきたのだから、財政健全化の見通しがたてば将来不安が軽減され成長率も高くなるだろうと主張する。
3 さらにゼロ金利の長期化がかえって財政規律を弱体化させ、日本の経済成長を阻害しており、ゼロ金利の長期化と財政不安とは密接な関係があるとする。 
 したがって、一定程度のプラス金利が定着すれば長期的に安定した成長経路に復帰できるはずだから、低金利環境が財政規律を弛緩させるという効果を明確に認識しうえで、政府と日銀が互いの領域に踏み込んだ議論をして、財政・金融政策のグランドデザインを描いていくことが必要だとする。
 本書で、財政収支改善のための政策手段としてあげられているのは、①医療制度や年金制度について高齢者にも応能負担の原則をとりいれること。②給付付き税額控除の導入③医療費の削減④消費税の増税⑤所得税に累進性⑥公正な相続税、資産課税⑦法人税の増税である。
三 確かに、日本経済が低迷した原因に不良債権問題があるのは首肯できる。その処理に手間取り15年もの年月をかけた挙句、国家として、企業として、家計として人的資本の形成に注力できず、その劣化が日本経済に影響を与えたという主張も賛成できる。
 しかし、財政への不安が日本経済を悪化させたという点にはにわかに賛成しがたい。一般の国民にとって、不安なのは財政の持続可能性よりもむしろ老後の不安すなわち社会保障の持続可能性のほうである。財政不安がその社会保障の持続可能性に影響を与えているとしても、財政再建のために社会保障を削るなら、やはり一般国民は生活防衛のために消費を避けることになる。たとえプライマリーバランスが達成されても、それが社会保障費の大幅な削減によって達成されるのだとしたら、やはり消費は低迷し日本経済は長期停滞から脱出することはできない。
四(1) 消費が低迷するのは、財政破綻の可能性そのものではなく、ことさら財政破綻を煽り、社会保障費削減の理由としてきた点にあると言わざるを得ない。
(2) また著者はゼロ金利の長期化が国債の利払い費を減少させ結果的に財政規律を緩めていると主張するが、ゼロ金利自体はむしろ国債償還に資するのであるから、財政規律の弛緩とは本来関係ないはずである。この30年社会保障費が増大しているにも関わらず、教育や少子化対策などの費目への支出を制限し、消費税を増税して財政を緊縮してきたのである。事実の評価を誤っていると言わざるを得ない。
(3)   さらに図6-1で引用されている日本の一般会計歳出、税収の推移について、いわゆるワニの口についても読者に誤解を与える内容となっている。すなわち、支出面では、国債償還費が計上されているにもかかわらず、収入面では国債を算入していない税収のみと比較をすることでことさら多額の支出を強調することになっている。さらに、ここには国債は税収によって返済されるべきとの発想に基づいての主張なのだろうが、国債は借換えするのが一般的な国家の通常の運用なのである。
  しかも、政府債務残高と民間金融資産とは表裏一体であり、政府の債務がなくなれば、民間の余剰資金がなくなることをあえて指摘していない。好景気で民間の資金需要が高い時は民間の負債が大きくなり、その分政府債務残高が減ることはあるだろう。しかし、景気が後退している局面で意図的に政府債務残高を減らすことは民間の余剰資金を無理やり奪うことを意味するのだ。
 そして、それが増税論議につながるのである。
五 要するに、著者の主張は、現在民間に余っている資金を政府に吸い上げ、政府の負債をできるだけ減らそうという主張に他ならない。好景気であれば自然と民間の資金需要が高まり税収増で政府の債務残高は減るのに、民間の金融資産が増加しているのは資金需要がない、つまり不景気であるからだ。このような時期にあえて政府債務を削減し民間の金融資産を奪う政策をとることは、かえって将来不安を増幅させて、ますます消費は低迷し企業は内部留保に努めることになるだろう。著者が提案する財政再建策は結局更なる日本経済の長期低迷を呼び込むことになりかねない。
   したがって、著者の提案に賛同することはできない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?