見出し画像

音楽関連書紹介「砂男/クレスペル顧問官」(E.T.A.ホフマン著 大島かおり訳 光文社古典新訳文庫)

特に新刊でなくとも、音楽書でなくとも、音楽に関連する本は片っ端から私はOTTAVAの番組の本の紹介コーナーで扱っている。これは9/15放送分。

ケーニヒスベルクに生まれたドイツの作家エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(1776-1822)は、クラシック音楽に関心ある人にとって、避けて通れない存在である。
本書は、オッフェンバックのオペラ「ホフマン物語」に出てくる3人の女性、オランピア、アントニア、ジュリエッタについてのホフマンの原作を集めた短編小説集。本書は2014年初版。訳文も読みやすい。

ホフマンは、のちのドリーブのバレエ「コッペリア」やチャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」の原作者でもある。世代的にはベートーヴェンの6歳年下にあたるが、その幻想怪奇の作風は、はるかに時代を先取りするものだった。

本書に収められた短編小説にしばしば見られるのは、未熟で子どもっぽく、夢見がちな自分というものに対して、冷水を浴びせるような現実主義者の視線を対置させていることである。
たとえば「大晦日の夜の冒険」で、かつてクリスマスに胸をときめかす少年だった「ぼく」に対して、意地悪い悪魔はこう耳元でささやく。

「ほらみろ、今年もどんなにたくさんの歓びがおまえから去ってしまって、もう二度ともどってこないことか。だがそのかわり、おまえもちっとは賢くなって、くだらぬ愉しみなんぞにはもう洟もひっかけず、だんだんと真面目な男になるだろうよ――歓びとはまったく無縁な男にな」(136ページ)

ホフマンは、単なる芸術至上主義の幻視者として振る舞っているわけではない。むしろ現実の側からの夢の世界への暴力と嘲笑を、皮肉っぽくしばしば描く。熱狂に幻滅を対置させる。その筆致の冴えがあるからこそ、比類ない幻想の語り手たりうるともいえる。

そもそもホフマン自身の人生がそうだった。昼間は法律の専門家として手堅い職業につく傍ら、夜は劇場や酒場に出入りし音楽や文学とのかかわりを深く持ち続けた。その二重性もまた共感できるところである。

ホフマンの文章には、一種の酩酊感がある。たとえば、恋する女性から酒の入ったグラスを受け取ったときの描写はこんな感じだ。

「盃をつかもうとした手が彼女の華奢な指に触れ、電気の火花が全身の血管に走った――ぼくはぐいっと飲んだ――盃のへりと唇のまわりを、小さな青い炎がぽっぽと音をたてて舐めるかのようだった」(145ページ)

やがて「モーツァルトの崇高な変ホ長調シンフォニーのアンダンテ」をピアニストが弾くのが聴こえてくる。

「その歌は白鳥の翼にのって、わが人生最高の夏の恋と悦楽のすべてをまざまざと呼び覚ました」(146ページ)

何という極端な表現。でもこれらの言葉には確かにハッとさせられるような煌めきがある。忘れかけていた大切なことを思い出させてくれる力がある。音楽好きであれば、ホフマンには時々立ち返るべきだ。
https://www.kotensinyaku.jp/books/book181/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?