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そうだよ。とても簡単でしょう?

ある日の母親との会話。(実話ですが、口語を文語体に多少書き換えています。)

母「ねえ、また生まれ変わらないようになるにはどうすればいいのかな?」

僕「どうして、そんなことを訊くの?」

母「最近、わたしも年を取って、来生はどうなるのかな?ってずっと考えているの」

僕「うーん。たぶん、手放すことだと思うよ」

母「手放すってどういうこと?」

僕「ほら、母さん、朝ドラ観てるでしょう?」

母「今は観てないけど、前は観てたね」

僕「あ、うん。それでね、朝ドラを観てると、いろんな感情が湧いてくると思うんだ。怒ったり、泣いたり、幸せを感じたり、祈りたくなったりね。登場人物に感情移入をしちゃうでしょう?」

母「つまり、感情が湧いてこないようにすればいいいわけね」

僕「いや、そういうわけじゃないんだよ。別に感情が湧いてきても良いんだ。ただ、それに振り回されないようになった方が良いと思う」

母「どうすればいいの?」

僕「母さんはドラマの中の登場人物ではないことを知らないといけないよ」

母「どういうこと?」

僕「つまりね、こういうことなんだ。みんなね、この世界を体験している自分がほんとうの自分だと思っているんだよ。たとえば、人がドラマを観て感情移入している時、あるいは子供たちがテレビゲームに入り込んでいる時、自分がその世界の中にいると思い込んで、それが苦しみの原因になるの」

母「……」

僕「僕が子供の頃、弟とか従弟とゲームをやって負けたら、怒って、コントローラーを投げたり、不機嫌になって母さんに八つ当たりしていたでしょう?」

母「そうね。あなたは今では想像もつかないくらいヤンチャだったからね」

僕「ゲームのなかで何が起こっていても、現実の僕には関係がないのに、僕はゲームにあまりにのめり込んでいたから、苦しんでいたんだよ。母さんも同じなんだ。朝ドラでどんなに波乱万丈なことが起こっていたとしても、母さんには関係ないんだよ。朝ドラを観ている時、母さんはどこにいる?

母「どこってどういうこと?」

僕「だから、テレビを観ている時、母さんはどこにいるの?」

母「テレビの前」

僕「そうだよ!だから、ドラマとは関係ないよね」

母「うん。確かに観終わったら、忘れちゃってる」

僕「つまり、人生で起こってくる出来事がほんとうの母さんとは何の関係もないんだよ。ほんとうの母さんは真我なんだ」

母「真我って何?」

僕「真我って言うのはね、自我ではないもの。自我はゲームやドラマで言うところの画面の中の自分。真我はテレビの前で観ている自分なの。つまり、母さんの人生をちょっと高いところから観ている存在だよ。それでね、真我は宇宙全体でもあるんだ!」

母「宇宙全体?」

僕「そう。それでね、自我である身体は経験することが決まっているんだ。ドラマの登場人物は脚本通りに架空の世界を経験するでしょう?ゲームもプログラムされたパターンでしかプレイできない。だから、真我に気づくしかないの」

母「真我に気づくにはどうすればいいの?」

僕「ヨガと瞑想」

母「わたし、瞑想は苦手なの」

僕「うん。大丈夫。体感として、真我を知るには、確かにヨガと瞑想だけれど、それができないひとは、人生で起こってくる出来事に抵抗したり、文句を言わないで、ただ受け入れてゆくことをするだけで良いと思う」

母「あのね、わたし、どうしてもハワイに行きたいっていう執着があるの。もう何回もハワイに行っているのにね……。それがあると、また生まれ変わってくるの?」

僕「強烈な執着や願望、癒されていない感情は種のようになって、心の深い部分に貯蔵されるんだ。その種が生まれ変わりの原因になる。でもあるがままを生きて、執着せず、感謝して生きていたら、もう生まれ変わらない」

母「難しいのね」

僕「僕は思うけれど、どうしてもハワイに行きたいのならハワイに行けばいいと思うよ。母さんはハワイの土地とカルマ的なつながりがあるのを僕は感じる。でも、もし、ハワイに行くチャンスがないままこの世を去るとしたら、それが運命だったということなんだ。もし、ハワイに行く運命にあるのなら、母さんが金欠でどんなに行きたくないと思っても、誰かが飛行機代を出してくれたりして、行くことになると思う。でも、もし、ハワイに行かないままこの世を去るとしたら、それが運命だったんだね」

母「じゃあ、起こってくることに抵抗しないでそれを受け入れて、あるものに感謝していれば良いの?」

僕「そうだよ!とても簡単でしょう?」

おしまい。

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