ハートを信頼して生きる。
「会社が窮屈で辞めてしまいました。借金があって、この先どうなるか不安です」という方からメールをいただいた。
結論として僕は「たとえ、借金があったとしても、今ここにくつろいでください」と返信した。でも、そんなこと言われても「状況は切迫しているのだ」と思われるかもしれない。
多くのひとは「何でもいいから、外に出て行って稼いできなさい。行動しなさい」と言うと思う。
僕はいつもハートのことについて書いているけれど、ハートのなかには「ガイド」がいる。
人生と言うのは山登りに似ていると思う。登山には「ガイド」がいる。
「ガイド」はあなたのことを何でも知っていて、あなたの人生を絶えず導こうとしているのだけれど、思考や不安、恐怖が大きいと「ガイド」の導く声が聞こえない。
「ガイド」の声はハートの中にある。頭で計画を立ててああしよう、こうしようと考えている間は、人生は過酷なものになる。
なぜなら思考はどうやって、山を登るか分からないのだ。でも「ガイド」は知っている。
外側に映る世界は騒がしい。
ハートの海の奥深くにダイブして潜り込んで行けば行くほど、そこには静けさがある。内側と言うのは、僕にとってハートの奥深くのことだ。
それは文字通り、ダイビングに似ている。目を閉じて、ハートに深く集中する。
すると、そこにとても静かな空間があることが分かる。その空間の中にいると、僕はとても安らぎを感じるし、何かに守られていると言う感覚が出てくる。守られていると言うのは、ただの安心感だけではない。
人生をちゃんと導いてもくれるのだ。不思議とこのやすらぎの中にいることができると、次はこうしたらいいんだというのがわかり始める。というより、勝手に行動が起こるようになる。
だからこそ、どんな問題を抱えていたとしても、今この瞬間くつろぐということがとても大事なのだ。
毎晩、ねむりに就く前に、ハートに祈ること。ハートの前で手を合わせたり、組んだりして感謝をささげることだ。
そうやって、ハートとつながりができると、あなたは「ガイド」と手をつないでいるかのように親密な関係を持つ。自分がどれだけ愛されているか分かる。
思考には問題を解決する力は無い。
問題を解決できるのはハートだけだ。
ハートの直感だけだ。ハートで生きている人間は恩寵の次元を生きる。それは因果関係を超えた世界で、物事が自分の過去の行動に関係なく、突然どこからともなく起こる世界だ。
それはどこからやってくるのか人間のちっぽけな頭ではわからない。
瞑想したって人生は変わらないよ、という人もたくさんいるけれど、実はそれをすることによって、自分で人生を変えるのではなく、大いなる存在、サムシング・グレートから引き寄せられるように、引っ張られるようにどこかに向かい始める。
僕だってこれから先どうなるかわからない。もし多くの人と同じように思考を使って生きていこうとするのなら、僕は不安でいっぱいになる。でも、僕はそんなふうには生きていない。
恩寵と言うのは、必ず誰にでも降り注ぐ。もしハートにくつろいで生きるのであれば……。
やがて、衝動のようなものがハートから来る。それを行動に移す。
半年前、noteを始めた時、どうしても書きたいと言う思いが抑えきれなかった。だからnoteを始めた。
そして今年の初めから読者の方と対話したいと言う思いが出てきて、人の話に耳を傾けると言うことをしていたら、それを仕事にしたらどうですかと言う声をいただくようになった。
別に自分は成功者になったとか言うわけではない。全くそうでは無い。何者にもなっていない。一円にもなっていない。ただ自分が一年前は全く想像していなかったことが今起きているのは事実なのだ。
だからと言うのもおかしいけれど、ハートの衝動に従って生きていたらきっとどこかにたどり着くと思う。怖さももちろんあるけれど、
結局、人生と言うのは思考か、ハートかの二択しかないのだ。
思考がうるさい時は、何か目の前にあるものを一つ選んで優しく見つめつづける。あるいは、聞こえる音をひとつ選んでそれを聴き続ける。
あるいはただ深呼吸する。
ハートで生きるのは勇気と信頼がいる。
なぜならどうなるか全く想像がつかない道を選ぶからだ。毎日何が起こるかわからない。だからこそ、自分のハートを信頼すると言うこと。
たとえ問題を抱えていたとしても、ハートの奥深くとつながっているのなら、絶対に大丈夫だ。
恩寵に守られるようになる。
だから、絶対に信頼することだ。
絶対大丈夫だと言い聞かせるのだ。
明日、どうなるかわからない人生を生きると不思議と内側とのつながりが出てくる。何故かと言うとその人は思考で解決する世界で生きていないから常に内側に頼るしかなくなる。
常に「ガイド」と共にいるようになる。
きっと大丈夫。
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