父の入院と母の鼾
風は暑くもなく冷たくもない、朝の鮮度を感じられない空気のかたまりだった。雲が立ち込める空は薄暗く、街路樹から蝉の鳴き声が聞こえていた。午前10時、私はショートステイから帰ってくる母を迎え入れる為、実家へ向かっていた。母と二人きり、二泊三日過ごすのだ。
母がショートステイから帰ってくる数日前、父は入院してしまった。熱が38度を越えた父を病院へ連れていくと、誤嚥性肺炎と診断された。ずっと飲み込みが悪かったので、なるべくしてなったのだろう。
病院から飲み物もトロミをつけて飲ませられる程、父の嚥下のレベルは低かった。医師からは、皮下埋め込み型留置カテーテル挿入術か、経皮内視鏡的胃瘻造設術を勧められた。点滴を身体の中心部に近い場所で出来るように、挿入部分を埋め込むか、口から食べなくても栄養が取れるように、胃に穴を開けるか。。。
働いている病院にいる、寝たきりの患者さんの姿を思い出す。いやいや、倒れて動けなくなった訳ではない父。筋力の低下はあるが、支えがあればトイレへも行ける。胃瘻であれば、受け入れてくれる特別養護老人ホームもあるという。母とも同じ施設で暮らせる可能性も、ある。
医師には出来るだけ早く返事をして欲しいと言われ、母と相談した。家族の意向としては胃瘻。ただ、医師から説明してもらって、父の意思を聞いて欲しいとお願いした。突然、何の相談もなく、自分の身体に穴を開ける手術をされるのは誰にとっても理不尽だろう。認知症ではない父は、意思決定はできるはずだから。
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実家の壁には三年前の、元気な頃の母と父の写真が貼ってある。孫と並んだ写真の母は、まだ髪を染めていて、小豆色のチェックの割烹着をきている。父もふっくらしていて、手にタバコを持っている。まさか三年後別々の場所で、動く事も大変な毎日になるとは考えもしなかっただろう。
季節は逝くもの。チャンスの神様は前髪しかないと言うけれど、生きることも前髪しか無いのかもしれない。命は突然消えてしまうから。明日の命なんて、きっと朝露くらい儚いものだから。
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明日はまたショートステイに戻る母。お昼は生協で頼んでいた鰻で鰻丼と豆腐の味噌汁、白菜の漬物を食べた。夕食はスーパーで買った握り寿司とお吸い物を食べた。久しぶりに急須で玄米茶を入れて、向かい合っての食事。
想像していた程、愚痴を言うこともなかった母。二年前のショートステイの時には、睨み付け罵詈雑言を吐いていたのにね。あれから「体力の限界」まで、悔いが無いほど頑張ったのだろう。家にいるときは眠れないと言うのが口癖だったのに、お昼もウトウトまどろんでたね。夜も9時には寝ちゃったね。
父がどんな意思を示すのか、まだわからない。出来ればあと一度、夫婦一緒に暮らして欲しいから、手術をして欲しいと願う。それは母や私のわがままかもしれないけれど。
なかなか眠れない夜、母は鼾をかいて寝ている。
布団に包まると微かにタバコの匂いがした。
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