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チキンカツを作る雨の夜

 最近の楽しみのひとつは、お弁当を作ることである。だいたい9品目の食材が入っている。例えば、白米、肉じゃが(じゃがいも、玉ねぎ、豚肉の3品目)玉子焼き、ウインナー、ブロッコリー、プチトマト、キュウリなど、すごく簡単、簡素なお弁当だ。
 
 人の三大欲の中でも、食欲は最大のものかもしれない。性欲は卒業してしまったし、いつまでも寝ていられた睡眠欲も、このところ12時を過ぎて無理やり眠る感じだ。身体を酷使してバタンと倒れ込んでいた昔に比べると、良いことなのかもしれないのだけど。

 時間ができるということは、余計なことまで考える隙間ができるということ。去年の今頃は、実家に週2、3回通い、母をお風呂に入れたり、父の運動につきあっていた。また、Mサイズの紙パンツや4回分尿を吸収するパットや、栗入りどら焼き、エナジードリンクのチューブなど、実家へ持って行き、忙しく過ごしていた。しかし、去年の秋、父は天に召され、母は脳に異常が見つかり、年末から入院して、もう実家には誰もいない。突然の手持ち無沙汰は、子どもが独立した空の巣症候群にも似て、ぽっかりと心に穴が空いている。

 勤めている病院でも、11月から今月にかけて10人前後の患者さんが、天に召されている。おむつを変えたり、お風呂で身体を洗ったり、ご飯を食べるのを手伝ったり、そんな日々を一緒に過ごしてきた方達が、ひとり、またひとり居なくなるのは、やはり辛い。エンゼルケアのやり方は、だんだん慣れていくけれど、患者さんの消えていく溜息が、私の心身に降りつもっていくようで、ボディーブローのように堪えるんだ。

 ある男性患者さんの話だ。容態が急変して、あの世へ旅立たれた日、ご家族の方に渡す荷物を整理していた。床頭台の引き出しの中に、丁寧な文字で書かれてある、メモ用紙が出てきた。
『今日粗相をして、看護師さんに迷惑をかけた。辛い。できないことが増えている。どうすれば良いか? ただ、堂々と胸を張ればいい。淡々と胸を張って生きていけばいい』
 
 その方は、町内会長もされていた穏やかで、背筋がシャンとしている人だった。同じ病室の人が困っているのを見たら、スタッフに教えてくれるような優しい人だった。まさか、そんなことを思いながら、過ごされていたなんて。コロナのせいで、ご家族とも、ガラス越しでの面会しかできなかった。危篤状態になっても、温かい手を握りしめてもらうことも叶わなかった。

 朝起きて、目覚ましを止めて、またうとうとして、またアラームが鳴って、ノロノロ起きる。立ち上がれば、ゼンマイ仕掛けの人形のように、身体が動きだす。気分が乗らないモノクロームの一日の中、お昼のお弁当がちょっとした彩りをくれる。朝はギリギリまで布団にもぐっていたいので、夜にお弁当を作る。
 明日は白米、チキンカツ、サラダ(キャベツ、トマト、スナップエンドウ豆、ブロッコリー、にんじん、レタス)キュウリの漬け物の9品目。チキンカツは格子状に切れ目を入れて、塩胡椒で味をつけて、小麦粉につけ、卵をくぐらせ、パン粉をつけて、米油で揚げる。

 作り終わって、空気を入れ替えるため窓を開ける。ベランダに出ると、霧雨が夜を満たしている。見えない星空を見上げながら、変化していく自分のいる座標を、ぼんやり探していた。





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