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高校での常勤講師としての日々(3):コンドーム事件

なかなか衝撃的なタイトルとなりました。笑
コンドーム事件というのは常勤講師として勤めていた時に起きた事件です。

生徒との関係もそこそこ安定し、いつも通り3年生の授業に向かった日のことでした。

教室に入ると、教卓の上にコンドーム(しかも開封済み)が置いてありました。一瞬、それが何なのか認識できなかったことを覚えています。
教卓の上にあると、それがコンドームだと認識できないのです。笑

生徒の表情といえば、
「先生どんな反応するんかな(ニヤニヤ)」
という感じ。

そうですね、日本の高校生にとってコンドームとは...ネタになるもの。
しかも当時25歳くらいのねーちゃんの反応はさぞかし興味深いものだったでしょう…..

前の記事でも書き記した通り、私が勤務していたのは工業高校のため、ほとんどが男子生徒です。そして、彼らが最も恐れているのは、工業科の教師たちです。単位数も多く、実習などもあるため、工業科の単位を落とすことはできません。

工業科の授業には危険を伴う作業も多いため、工業科の教師たちの中には厳しく指導する教師も多く存在します。よって、そこで縮こまった生徒たちは、さほど重要ではない普通科の授業で爆発することも少なくありませんでした。

私のイメージでは、生徒たちは萎縮や恐怖よって生まれたストレスや不満を吐き出す場所を探していた…という感じでした。
普通科の授業を受け持つ私は、そういった工業科の授業の愚痴や不満を受け止める役割もあったように思います。

そんな彼らが日々のストレス(?)を発散するため?に仕込んできたのがこのコンドーム事件。笑

ひょっとしたら、袋から取り出されたコンドームを見て、すぐに生指(生徒指導)に走る教師もいるかもしれません。
ただ、「生徒が望んでいるのはそういうことではないのだ」と直感的に思いました。それは彼らの表情から...←

今、目の前の大人がこの状況にどう立ち向かってくれるか。
自分たちとどうやり取りしてくれるか、どんな話をしてくれるか。
彼らは大人がこういった場面で自分たちとどういう関わりを持ってくれるか。を知りたいのです。

無論、私は生指には行かず。

「これ、置いたん誰(怒)」から始まりました。
「○○やでー!(結構真面目な生徒)」と、誰かが茶化します。
「○○なん?」と本人に聞くと、首を横に振り。
「ちゃうって言ってるやん、ちょっと誰。(キレ気味)」

「○○やで!笑笑笑」と、犯人が判明。
「○○、取りに来て。そしてそのままゴミ箱に捨てて」

「….先生、それ何か知ってる?!?!?」
「コンドームや」

これで教室は大爆笑。

「先生、それ使ったことある???!!?」

「あるよ」

さらに大爆笑。(何がおもろいねん。と思いつつも生徒はどこかかわいい)

そして、置いた生徒はとりあえず取りに来て、ゴミ箱に捨てに行きました。

「先生、誰と使ったん??!??!」
「おい、お前やめとけよ!笑笑」
の声。

「あんたの知らん人や!」

「誰!!!!!」

「あんたに言うほど仲良くないから...誰か知れへんくて残念やな。」

「教えてやー!!!」

…..という感じで授業が削られていきます。←そこが彼らの狙い

「….そもそも、セックスする時はコンドームを使うんや。コンドームを使わずにやろうって言ってくる人とはやらんやろ。おかしいやん。相手を大事に思ってない人間やってことやろ?あたしはそんな人とはセックスできん」

ちょっと静まる教室。(静かになるんかい)

「あんたら、コンドームってそんなに面白い?これをセックスで使うっていうのは、相手のことを想ってるってことやで。さらに言うなら、自分のことを守るためにも使うんやで。何も面白くないし、最低限使わないといけないものがコンドーム。ちなみに、コンドーム使わないでいこう!なんて言う人との関係、私は長くは続かへん。私のこと大切にしたいと思ってるなら、使ってくれんと。」

何故か妙に頷く彼ら。

「先生、えぇこと言うやん。笑」とニヤニヤではなく、ニコニコに変わる雰囲気。

「誰かと付き合って、セックスすることになったら、ちゃんと使うんやで。相手のことも、自分のことも大切にして欲しい。使わないより、使う方がいい。それが相手を想うってことや!わかった?使わないより使う!以上!はい、テキスト○ページ開く!」

こうして、何とか生指にはお世話にはならずコンドーム事件を片付けることができました。自然と自分の口から出てきた言葉だったからこそ、彼らに伝わったのかもしれません。
この事件以来、彼らとの心の距離はグッと縮まったような気がしました。
指導が入りやすくなったのです。

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オランダに移住する前、性教育の本を読んで、一体私がこの経験をした理由はどこにあったのだろう。と考えました。

少なくとも、義務教育で性教育が義務化され、同性愛、同性婚、セクシャルマイノリティーがオープンで、養子縁組などがある社会において、”コンドーム”はわざわざ取りあげて皆んなでおもしろ可笑しく笑うようなものではないはずです。

きちんとした知識がなく、周囲の大人がタブーとして話さないから、

「これは話してはいけないものなんだ」
「この話をするとみんなが気まずい雰囲気になる」
「この話はみんなが避けたいものなんだ」

という認識が生まれると思います。

そうなると、多感期、思春期の子たちはあえてそれを可笑しくしたがるのだと思うのです。ましてや、教師や大人でさえそんな風に性の話題を可笑しく扱う人もいます。

タブーな話題....つまり、臭いものに蓋をしてしまえば、本当にそれで良いのか。
むしろ蓋をしてしまった方が悪い方向へ進んでしまうこともあるのではないか。

前述した通り、私はこの事件を通して、生徒たちと心で繋がったと感じることができました。前にも増して、私の話によく耳を傾けてくれるようになったのです。
私はあの時、タブーに蓋をすることを拒み、彼らはそれを受け入れてくれました。そして、彼らとの心の距離は近くなったのかもしれません。

この事件は私にとても大切なことを教えてくれました。
それは、「タブーを誤魔化す大人にはなってはいけない」ということです。

心と心でぶつかり合うことの意味。その重要性。
彼らはこうやって、私を(いろんな意味で)成長させてくれるのでした。

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