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自己否定から始まる就活

こんなご時世だけど、最近から就活を始めた。
しんどい。もともと働くことに興味が持てない。
○○がやりたい!!!なんて強い意志なんてない。
常に流されて生きてきたから。
新卒のときもそんな感じで辛かった。

しかも、私は話すのが大の苦手だ。
面接官が自分の方を向いて、全集中で難しい顔して、私の話を聞いている。
どこに地雷があるのか分からない。面白いこと言いたいけど、ビジネスの場だよ?ボケられないから、余計に緊張。
あ、そもそもお笑いの力量もないか…(笑)

面接官の正解を頑張って探ろうとするあまり、自分の意見を、ーーそんなに働きたくないから、面接用の「私」の意見を、すーすーはーはーしながら大発表するのである。
そういうことだから、ド緊張して、頭真っ白になって、支離滅裂な受け答えをしてしまうのである。
志望動機、自己PR、長所と短所……
これらの面接でよく聞かれる質問とかは、練習でなんとかなることもある。
私みたいな人間は、練習あるのみなのだ。練習したら言えるようにはなる。
新卒の時、練習して慣れて、緊張が少しはマシになったから、面接苦手な人は、練習するしかないんだ。宿命だ。
明るくてハキハキしている人って、それだけでアドバンテージだ。

緊張しいの性質は、少し努力すればよくなる。
(本当は、緊張しいでも、しゃべるの下手でも受け入れてほしいけど、そうはいかない。)
だけど、最近気づいた。なんで就活が苦手なのか。
過去を取り繕わないといけない、ということだ。
どうやら面接だけの問題でもなさそうだ。でも、苦手が爆発しやすいのは圧倒的に面接の場である。
私は、流され人生で、特に何も考えないで、今まで生きてきた。
でもその流された先で、文句言いながらも、いい人に出会ってバカ騒ぎして、時には勉強して、楽しんできた。

でも、面接で本当のことを言うのは、よくないらしい。
「流されて」という事実は、消さないといけないっぽい。
「何も考えないで生きてきた」ということが、どうやらよくない。
「○○が嫌で」「消去法で」「なんとなく」はよくない。

私の人生は、全部流れに任せきりだし、人生の選択においての選択は、全部消去法で選んできた。
○○がしたいから、なんて高尚な理由で動いたことは一度もない。
それでも、楽しかったのに。

○○が嫌で逃げてきた→(別の)○○をやりたくて
なんとなく→(自分の胸に問いかけ絞りだして無理やり)○○をやりたくて

自分の人生を全てポジティブに捉えないと、どうやら社会で通用しないっぽい。分かるよ、分かる。自分が面接官になったら…ネガティブな人は採用しないと思うから。
自分の過去を、全て他人軸であるポジティブで捉え直さないといけない。
それはもう、自分の過去を否定されたことと同じである。
自分の過去を自分で否定しなければならないのだ。
私にとって面接は非情な場である。
全過去を全否定して、鬼面接官の前で大発表するのである。
そりゃ緊張するのもうなずけるや。

就活では、自己分析が大事というけど、私の内定への近道は、自己否定なんだよな。分析すればするほど出てくるよ、取り繕わないといけない過去が。だから辛い。自分としては最高な過去なのに、他人のフィルターを通す時は、そのフィルターに合わせて加工しないといけない。跡形がなくなる。

面接だってコミュニケーションだから、そこに合わせて言い方とかを変えていかないといけないのは分かる。
頑張れば頑張るほど、自分の過去を否定していかないといけなくなる。
この辛さ、分かるかな。練習すればするほど、自分を否定する言葉がスラスラ自分の口からでてくるんだよ。
そんな自分が嫌だ。それに耐えられない自分も嫌だ。
本当の自己否定はここから始まる。

末筆ながら、わたくしの、より一層のご活躍をお祈り申し上げます。

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