書評 - 嵐山光三郎『道楽人生東奔西走』

何年かぶりに、嵐山光三郎の『道楽人生東奔西走』を読んでいたら、ハッとする一節にぶつかった。
連休が終わり、また仕事かとうんざりする方々には、同感いただけると思う。

(…)道楽とは「道を解して自ら楽しむ」行為で、「道から落ちてドーラク」なんてシャレをいう噺家もいた。いずれにせよ本職以外の趣味に夢中になって身をゆだねる。では本職とはなにか、と考えると、これがわかったようでわからない。
 会社勤めが本職といえるだろうか。
 ほとんどの人が生計をたてるために就職するが、それは本職という名目の労働であって、しぶしぶ働いている。会社勤めのほかに、なにか自分にあった天職があるのではないか、と考えつつも、とりあえずは食うためには働かなければならない。性格の悪い上司に仕え、油断のならぬ同僚と競争し、無気力な部下にうんざりしながら定年を迎え、さあこれから自分がやりたかったことにとり組もうとする。

4連休があったのだが、家族サービスもあるし、自分の時間は少ない。
自分の時間があっても、さて、やりたいことを腰を落ち着けてやるぞ、というのにも”準備時間”(ウォームアップ)がいる。

もし定年して時間を持て余すようになれば、きょうやりたくてできなかったこと - 自分で言えば、ハイドンのピアノトリオの10枚組のディスクを買って聴いた、そしてそのライナーノーツ(英文です)を読んで、おもしろかったことや感想をじっくり文章にまとめる - なんてことを、自分の調子のいい時間にできるのではないか(音楽鑑賞が、自分の道楽である)。

そんな風に夢想する。
道楽が、自分の生活の中心になる。

あさイチで原稿書き、その後朝食、散歩、コーヒー、また原稿を直し昼食、午後は音楽を聴いて、晩酌の肴は何がいいかな…なんて。
あくまで夢想ですが。

現実はといえば。
あすからは引用文にあるように、食うために働かなくてはいけなくて、自分の道楽に、潤沢な時間は使えない(通勤時間もバカにならないし…)。

そりゃあ、仕事終わって、帰宅して寝る前に、自分の時間がないわけではないが、いかんせん細切れである。
鴎外先生のように、夕食後仮眠をとり、2時に起きて書く、そこまでの気力・体力はないわけだ。
”出世”もあきらめたし、別に苦労して人に抜きんでる欲もない。
疲れるだけだし…

それにしても、”労働”は、道楽にはジャマですな…

学生時代、ヨーロッパを旅行中、ふつうのおじさん(インテリとか金持ちとかじゃなく)がバカンスをとって、半袖半ズボンでナップサックをしょって、1カ月くらい休んで貧乏旅行をしている、そういうのを見たり、そういう人たちと少し話したりしたのを思い出した。

そのくらい休めれば、俗世間で食うために働いている毒気を、まず1週間くらいで抜いて、その次の1,2週間を、自分のやりたいことに注ぎこめるのじゃなかろうか。
たとえ、定年する前であっても。

それとも、定年したら気力も体力も衰え、金も使えず、そんなに”うまい話”はないのだろうか。

嵐山氏は、”編集者という仕事”が、自分のやりたいことと一致していたので、仕事での疲れはなかった、とも書いていた。
すげーな。
やはり物書きとして、編集者として名をあげる人はちがう、と思った。

評価は★★★★★。
本書の本題は、筆者の道楽生活。
たとえば俳句、酒、釣り、文芸、交友、そのほかおもしろい話が満載。
老母ヨシ子さんとのエピソードも、大変おもしろい。

嵐山氏のように、いやムリか、スケールは小さくとも自分なりのスタイルで、風雅に風流に生きてみたいもの。

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