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漢字で感じる人間学59(個・代替不可能な人間)

「個人」の「個」は「人」に「固」。人間は、意識では境界なくつながっていますが、肉体をもってまとまっている状態を現したのが「固」です。この地球上で物質としての肉体を持って生物として活動し、行動する基本単位が「個」ということになります。

会社等の組織、システムでは、特定の個人だけがその仕事をできるのではなく、誰がやってもできるようにすることが推奨されます。何かの事情でその人がいなくなったとしても、支障なく業務が継続できるようにするためです。そこでは人間は「個」の性質、特質を極力なくした「機能」が求められていきます。

ある人がいなくなっても代わりがいる。またその様に代わりがいる様に設計しなければ、システムは存続することができません。それぞれの人が持っている「個性」は脇に追いやられ、人はシステムを動かす「機能」としての役割を果たしていくことになります。

この「機能」としての側面が最も端的に現れるのが戦争です。戦争において、兵隊となった人は、一人一人の個性は捨てられて、ひたすら相手を傷つけ攻撃する「機能」となることが求められます。一人一人を尊重するとかやっていたら、とても戦争などしていられないですね。そして一人一人の人間は兵力としての「数」、兵隊が何人いるという「数値」の中に取り込まれていくことになります。

しかし、その人がその時代に、その身体とその魂をもって生きること。これは代わりがいません。魂の生まれ変わりを認めるとしても、それにしてもその身体でその時代を生きることは、一回限りです。

本来の人間はだれでもかけがえのない存在です。代わりはおらず、一回切り。だから尊いんですね。

「個性」とは、「人と比べて際立っているその人の特性」みたいに使われますが、この「代替不可能な個」という本来の意味に立ち返ると、人との相対比較ではなくて、もっと絶対的に素晴らしく尊いものであることが分かります。

一人一人、異なった特性を持ってとして存在している「個」。その人の数だけ、その姿かたちをした世界、宇宙があるということです。

時に社会を動かしているシステムから離れて、個としての自分に立ち返ってゆっくり振り返ってみると、今この瞬間にこの姿をして存在している、その不思議さや有難さに気づきます。

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