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「人生」と向き合う@さとのば大学

さとのば大学」を受講して3日目。また難しい内容をやるのかな、と身構えていたところものすごくリラックスした雰囲気で始まったOST。

そこでの良質な問いに対して、私は自分の人生に大きく踏み込んだ気付きができました。

1.OSTとは

そもそもOST(オープンスペーステクノロジー)とは、参加者が議論したい課題を自ら提案し自主的に話し合いを行う手法のことで、参加者の当事者意識を最大限に引き出すことにより納得できる合意に到達できる云々、というとにかく各々がかかげた「問い」に対して「この指止まれ」方式で気になった問いに関して対話するというワークショップのことです。

自主性を発揮しながら行う議論や対話は大学3年間のうち仲間に恵まれたおかげで嫌という程行ってきたのですが、ほぼ初対面の人たち、そして世代を超えた参加者同士で人生に対してドストレートな対話をするこの機会はものすごく貴重だという認識があり、少し緊張していました。

2.問いへのぐるぐるタイム

そして参加者の皆さんがあげてくれた良質な沢山の問いの中でも「何のために私(自分)は生きているのか?」は、今の自分にとっておきの問いだと思いました。

私は現在20代特有のうつ期というか、色んな人や制度に守られて生きてきたことに気が付かないまま社会への入口にさしかかり、門番から「結局お前は何がしたいんだ?」という問いかけに驚き、へらへらしながら後ずさりして逃げている最中です。

アイテムで解決しようと思い立ちますが、持ち物の剣も盾も回復薬も今のレベルに合っていないような気がします。

「個性」を出せ、競争しろ、成功者になれ、と世間はいつもざわついていて落ち着かない。そんな社会に辟易して、布団で作った暗い穴蔵の中に駆け足で戻ってはハムスターのように震えています。

「生きている意味」を一生をかけて学び経験をする場所だと思っていた「社会」は、既に数多の「経験」をしてマックスレベル100にならないと門を開いてくれさえしないと感じてしまうのです。

でも、人生なんて初回プレイで何も分からないから辛いし苦しいのは当たり前だよね、と仰っていた参加者の方がいました。

共感の嵐なのと同時に、そう!初回プレイだし「リセマラもできない」んだよな!と思いました。

「リセマラできない」、つまりこの世に二つとない自分の「命」は「重い」のです。「命」を軽んじることはできない。つまりボタンひとつで最初からやりなおせるものでもない。

人類の最大の過ちである戦争のあとの時代になってから、「命は重い、だから大事にしなければならない」という言葉が沢山の人から共感を得ています。

でも、生まれてしまった場所や環境は自分では選択できないし、だったら死ぬ時ぐらいは自分で選びたいよなと私は思うのです。でもそのタイミングは今じゃないぞと言われても、こちらとしては早く楽になりたいんだよなあ、、、と思う時もしばしばあります。

3.「命」への気付き

ここまでぐるぐる考えながら気が付いたのは、そもそも「命は重い」と考えるのが正しいわけではないんだな、と。というか、私の性に合ってないんだなと。

重い荷物を持った人と、軽い荷物を持った人とでは坂の斜面の見方が異なるように、「命は重い」ものだとしたらどうしても人生という坂道は急斜面にしか見えないのです。

だからといって「命は軽い」ものでもない。軽んじるものでもない。

私の半径数メートルが「世界」だと過程した時、私の大好きな人や飼っているハムスターが死んでしまったりしたら「世界」を変え得るでしょう。その逆も然りで、私が簡単に死んでしまったらそれも「世界」を変えてしまうかもしれない。だから決して軽いものではないのです。

じゃあ「命」は何なんだろう?重ければ人生を辛く苦しいものとしか考えることができなくなるし、軽んじるのはまた話が違う。

だから私は「命は想い」なのかなと考えます。目に見えない「命」にのせた、目に見えない「想い」を伝えたいし、感じたい。また誰かとそれを感じる喜びを分かち合いたい。半径数メートルの「世界」を幸せにしたい。まだ幸せにできる自信がなくて落ち込んでいる最中だけど。

「なぜ生きるのか?」というよりかは、「どう生きるのか?」なのかな…。

人生肩肘張らず、そんなに怯えないで、軽くもないけど、重くもないんだよと。

それでも、これが今の私にとっての、精一杯の学びと気付きです。

4.ちょっとずつ実践していく

とりあえず、今まさに半径2メートル以内にいるハムスターのしゃくれちゃん(性別不詳)から「想い」を伝えてこようかなと思います。

しゃくれ、ひまわりの種ひとつで幸せになってくれるの、私嬉しいよ。

あとひとつじゃ足りないからって指噛むのやめてね。

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