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自分で自分を快適にしていく | 家族へのイライラから考えたこと

家族(特にパートナー)へのイライラの原因と対応策を考えていたら出てきた答え。

自分で自分を快適にしていくしかない。

他人に求めようとしていたけど、「快適さ」は人それぞれ。
わたしはわたしの「快適さ」を追求して実現していくしかないのだ。
と思い直した、というお話です。


近頃、家族へのイライラが増えている。
特にパートナーへのイライラ。
イライラしているなんて楽しくない!
この状況を変えたいと思い、どうすればイライラしなくなるのか、何がイライラの根源なのかあれこれ考えた。

何にイライラしているの?

何にイライラしているかというと、日常生活のなかでのちょっとしたこと。
例えばこんな感じ。

  • 共用スペースに荷物が置きっぱなし

  • 日用品のストックが切れたら切れっぱなしにされている(毎回自分が買って、交換している)

  •  電源いれっぱなし

  • 洗濯もの干しっぱなし

  • ちょっと先の予定を率先して計画しない

  • 朝、自分の支度しかしない(子どもの対応をしない)

1つ1つはちょっとしたことだが、日々繰り返されるとだんだんイライラしてくる。
一緒に暮らす家族への配慮のなさや、先々のことを考えて行動しないことにイライラするのだ。

なぜイライラするの?

「快適に暮らしたい」と思っている自分にとって、共用スペースが片付いていなかったり、元の位置にもどされていなかったり、ストックが切れたら切れっぱなしにされていることは全く快適ではない。
一緒に暮らす家族への配慮が欠けている=大事にされていない、と思って悲しくなりイライラするのかもしれない。

子どもに対しては「仕方がない」と思うことができる(たまにイライラしたりするけど)。これからできるようになるかもしれない、とまだ希望がもてる。(ずっと出来ないままかもしれないけど)

対してパートナーには「仕方がない」とは思えない。
「もう大人なのだから、これくらいできるでしょ。仕事だったらやっているでしょ?なぜ家ではやらないのだ」と思ってしまうのだ。

パートナーは大人だけど他人でしかない、他人は変えられない

なぜいい大人なのにやらないのだ、一人暮らしの時はやっていただろうに。

そうパートナーは一人暮らしの時、ちゃんと暮らしていたのだ。
その「ちゃんと」が自分と異なるのだ。
パートナーにとっては日々片付いていなくてもいいのだ、1週間、1か月という単位でみたときにどこかで片付いていればOKなのだ。
日用品のストックだって、ストックが切れて困ったときにようやく「買おう」と思うのだ。
先々の予定だって、数か月前、1か月前に決まっていなくたって、思い立った時に決めればいいのだ。(その結果、直前過ぎて予約がとれない。という事態に陥っても残念ではあるが致し方なし、なのだろう)

逆にパートナーは私に対して「なんであんなに片づけているのだろ、先々の予定をあんなに考えているのだろう」なんて疑問に不満に感じているのかもしれない。

「家族だから」に甘えていたかもしれない

前述のようにパートナーに対してイライラしていた、期待していたのだ。
こうあってほしいと。

もしルームシェア相手だったら、ここまで「もういい大人なのに」とイライラしているだろうか?
ルームシェアをしたことがないのであくまで想像でしかないけど、ここまでイライラしないのではないかな。
ある程度線引きができるというか、「他人」という距離感を保てるというか。

パートナーは家族だから、という理由で期待しすぎていたのかもしれない。
「家族」という距離感に甘えていたのかもしれないな。

お互い一人暮らしで自由気ままに過ごしてきた。
お互いにそれぞれの「快適さ」と、快適さを保つスピードがある。
そこのすり合わせはここ数年でしようとしたけど、結局すり合わせることができなかったのだ。
相手にも「自分の快適さ」を担保してもらうのではなく、自分で「自分の快適さ」を担保するしかないのだ。

というわけで日用品のストックは自分で対応しよう。


家族に甘える、ということでパッと脳裏をよぎったのは、ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」でみくりさんが言っていた「愛情の搾取です!」という言葉。
パートナーも私に対して甘えがあるけど、私もパートナーに対して甘えていたのだな。

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