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古代の瓦☆実はタカラヅカ♥

古代瓦=タカラヅカ!?



ココロを癒やす♥
かわいい動物やきれいな景色、おいしい食べ物。
私たちの気持ちを華やげる愛やロマン!
色んなものに私たちは気持ちを踊らせますけど、
『瓦』もそこに加えてもらえないでしょうか?

瓦ってあの屋根の上に乗ってる・・・?
そう、その瓦です。

実は古代瓦には「タカラヅカ」的な要素もあるのですよ!

ある人が「電車に乗って奈良に近づいてくると、瓦が増えてきて ああ、奈良にきたなあ」って思うのよ」
と言ってくれた時から確信したのですけど、瓦のある風景って目になごみ、心にやすらぎを与え、しっとりと落ち着かせてくれる。

瓦には癒やし効果がある気がします。

特に古代瓦はその筆頭でしょう。

現代の屋根を葺く瓦はシンプルですけど、古代の瓦には色々文様があって、とてもきれいなのです。

そして、その模様に意味があるのです。

瓦を造る時、木の板に模様を彫って、それをぺたっとスタンプして模様を刻みつけます。
おそらくその原盤?は貴重だったはずで、相当使い込まれたようですし、貸し借りも行われていました。

そう、貸し借り!

今でも何か融通してあげるのは、少なくとも知っている人、そして親しい人であるように、古代の瓦の原盤を貸してあげる間柄は、わりと近しいものだったと考えられます。

書物にその足跡があまりなく、発掘調査などで跡が出土するばかりだった時。出てきた瓦の模様が、すでにあるお寺と一緒だったならば!
そのお寺を作った人同士は「ナカーマ」ということ。

瓦は古代の人間関係を教えてくれて、ってことはだいたい何年くらいに創建されたんか、とか力の強い場所だったのかも・・・と色々わかるわけです。ビバ☆瓦☆

日本ではお伊勢さんに代表されるように、木造の家から始まり、お屋根も草葺きとか板葺きとかでした。

土焼いて作る「瓦」なんてものは、見たことなかったのです。

今でこそ土から出てきた古代瓦は古ちゃけていますが、かつては日光を受けてぎらぎら光っていたことでしょう。

それが何千・何万枚と屋根にあるのです。

相当迫力だったはずです。

日本最古の寺院・飛鳥寺


日本で最初の瓦葺きの建物は、奈良県の飛鳥にある『飛鳥寺』と考えられます。
『日本書紀』には588年「百済」(国名)から、僧侶、露盤博士(お寺のてっぺんにある丸い鉢みたいなやつ)瓦博士、画工がやってきて、日本最初の寺院を作ったとあります。

ここに「瓦博士」とあるように、瓦を作る専門家・・・「博士」が指導するものだったのです!

この時百済の工人によって「百済系」の模様の瓦が作られています。

瓦は全体を覆う四角いものと、先端部分を担当する「軒先丸瓦」(ふちの部分)とありまして、この軒先丸瓦に模様が入り、まさにお寺の顔!なのです。

飛鳥寺のものは、2種類ありまして、どちらも蓮の花をかたどったような花びら模様が刻まれています。
そして、微妙にちがいがあります。

花弁の先端が桜のように分かれているものを、現在「花組」と呼び、蓮弁の先端に丸い印をいれているものを「星組」と呼んでいるのです。
おお、古代瓦とタカラヅカが今重なった!

この飛鳥寺で用いられていた瓦は、のちのちの古代寺院の標準的な瓦になっていくのです。

この形と同じもの出れば、それは飛鳥寺と同じ時を生きたということが言えますし、飛鳥寺と関係の深いお寺だといえます。

飛鳥寺は蘇我氏が建てましたので、蘇我氏と関わりがあるということ。

つまり時代のキーパーソンと交流があったことを示すのです。

この飛鳥寺には塔もありました。

と、いうか当時はまだ、塔がお寺でもっとも大切なものでした。

塔の中には「仏舎利」というお釈迦様のご遺骨が収められています。塔こそお寺のシンボルであり、「お釈迦様の教えを受け継いでいるんだぞ!」と伝える重要な場所だったのです。

飛鳥寺の塔跡からは、仏舎利の他「硬玉」「めのう」「ガラスの勾玉」「管玉」「切り子玉」「銀製空玉」「トンボ玉」「小玉」・・・などなど沢山見つかっています。

これらは、お寺ブームがくる前の時代のムーブメント「古墳」の副葬品とほぼ同じ。

お寺が古墳にとってかわってトレンドになっていったことがよくわかります。

飛鳥寺と対を成す・・・女子エリア「豊浦寺」


さて、当時の僧侶は男性のみでなく、女性の僧侶「尼僧」もいました。

男女は分かれて暮らすことになっていたので、男の寺と女の寺、2つがワンセットになって作られていました。

飛鳥寺の女子専用ゾーンは、「豊浦寺」(とゆらでら)と考えられています。

『元興寺縁起』によると「587年 百済から訪れた使者が、百済では半月ごとに「白羯磨」という仏法の作法をやる。僧と尼がたがいに行き来するので、僧寺と尼寺を鐘の音が聞こえるところに建てるべきである」と助言したというのです。

鐘の聞こえる距離というのが、いまの「スープの冷めない距離」みたいでいいですね・・・(ホッコリ)

というわけで、蘇我馬子が僧寺の飛鳥寺と尼寺の豊浦寺を創建したというのです。

この豊浦寺の遺構の下から、なんとなんと推古天皇の「豊浦宮」と推測される跡も出てきており、まーゴージャスかつ貴重な場所なのです。

さて、豊浦寺跡から出た瓦は、飛鳥寺と同じものがあります。

お互いワンセット、兄弟みたいな寺ですから、瓦の型やもしかしたら瓦そのものを融通しあっていたのです。

しかし!豊浦バージョンとでもいうべき、新型の瓦も出ているのです。

このデザインがとても繊細で、円形の瓦面の中央に小さな「蓮のおしべめしべ」みたいな円と、八枚の花びらを配置し、花びらと花びらの間に丸い印があるのです。

そしてこのデザインは、高句麗の宮殿や寺院に葺かれたものとよく似ているのだそう!
ということで、高句麗系と呼ばれています。

日本の仏教の先生は、百済、そして高句麗でした。

明治のころ、お雇い外国人の教授陣を沢山呼んできたように、古代の日本もまた、海外の最先端事情を外国人から学んでいたのです。

聖徳太子さまの家庭教師も、外国人のかたでした。

日本古代の最新・最先端を表すものに「瓦」があったこと・・・
その瓦は、色んなことを教えてくれること・・・
そして瓦はタカラヅカだったこと(雑なまとめや!)
奈良に来たらぜひ瓦も楽しんでください。

冒頭のイラストはネコヴュさんから拝借しました。ありがとうございました!


奈良でガイドをしています。これからもっとあちこち回っておもしろいガイドを提供します。ご支援どうぞお願いいたします。