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異世界転生モノ IN 万葉集!


山上憶良の功績


山上憶良

万葉集で『貧窮問答歌』など歌った歌人として名高い人物です。

彼は、その出自はよくわからないところが多いのですが、セレブリティでなかったことはたしかです。

親友に大伴旅人という人がいるのですが、こちらはまぎれもなくセレブリティ。
名門・大伴一族の人。

山上憶良が後世に名を残すことができたのは、やはり大きな仕事を成し遂げて、その才覚が認められたから。

彼は『遣唐使』の一員として派遣された経験があるのです。
遣唐使として派遣されるまで、彼は無位無冠。

今で言うところのプーだったわけです。
しかし、なぜか遣唐使の一員に抜擢されるのです。
そして、良い働きをしたのでしょう。

このことが、山上憶良を押し上げる大きな一因になったと考えられます。

山上憶良が遣唐使としてどんな活躍をしたのか?

大きなものから小さなものまで色々あるわけですが、その中でぜひに特に取り上げたいこと・・・

『遊仙窟』という小説を持って帰ったことを紹介します。

奈良時代に大ブレイク!『遊仙窟』


遊仙窟とは、仙女との出会いを描いた雅で艶やかな物語。
ある男が皇帝から「黄河の先がどうなってるのか調べてこーい!」と言われ、そんな無茶な・・・と思いつつも旅に出て、そこで出会った仙女とどうこうしたいっと悶絶する物語。(雑にまとめましたぞ)

この物語は、中国では軽く見られ
「地位や名誉のある人がよむようなものではないっ」
とさげずまれ、歴史から消えていきました。

今この物語が読めるのは、日本にやってきてくれたからです。

日本の知識人達は、このお話がとても気に入ったようで大ブレイクします。

そしてその命脈は続き、あの『源氏物語』『松尾芭蕉の俳句』にも影響が見られるというのです。

そして、これを持ち帰った人のひとりとして、確実に名の分かる人こそ、山上憶良なのです。

山上憶良は、その生涯の中で「筑前の守」として赴任する仕事を与えられた時期がありました。

同じ頃、大伴旅人も「大宰帥」という役職で太宰府に赴任しています。

彼らは仲間とともに「筑紫歌壇」と後世に呼ばれるサロンを結成しました。

都から遠く離れた九州だけど、海外からの文物がいち早く届く玄関口であり、そこで新しい文芸、新しい文学の息吹を燃え上がらせるのだ!!

そういう気持ちで歌作りに取り組んでいた中で、『梅花の宴』と呼ばれる宴会が開かれ、その席で作られた歌の「詞書き」という部分に現在の元号「令和」の典拠があります。

彼らも『遊仙窟』が大好きだったようで、大伴旅人が作った歌にも下敷きとして使われているのです。

旅人版「異世界転生モノ」「遊仙窟」IN松浦川での物語


大伴の旅人は、大宰帥に就任後、肥前国「松浦の縣」という場所を視察します。
そこは非常に風光明媚な場所でした。

そこで作られた歌が『万葉集』巻5に残っています。「松浦川に遊ぶ歌」というものです。

松浦の縣にやってきた余(たぶん旅人)が、散策していると美しい乙女たちに出会って、感動して、歌を詠んで、詠み交わして、という物語。

その乙女たちというのは、もちろん常人ではない設定で、そんな奇縁を得た自分が作歌してその一連の流れが交わした歌とともに物語になっていて、まさに『遊仙窟』の世界が自分ごととして展開された!という内容。

まさに異世界転生ものが万葉集の中で爆誕していたのです!

この「歌物語」を旅人は仲間達に送ったようで(新しい同人誌できました、みたいな?)

仲間達からは大絶賛だったようで、「エモい」「エモすぎる」「さらにそこに二次創作おっかぶせるわ」ということで、歌が追加されて贈られたりしました。

いつの時代も・・・万葉集の時代も、人は何かに感動し、その渦のなかで新しい創作が芽生え・・・

仙人の世界は、今でいうファンタジーの世界。
いい大人がハマるものではないっと中国ではスルーされたのですが、日本ではちゃんと受容して、消化して、当代の和歌の名人達の肥やしになっていった。

そしてまた素晴らしい歌が万葉集に追加されることへとつながったのです・・・(めでたしめでたし)

巻頭イラストはmaikaさんのものを拝借しました。ありがとうございました。






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