〇〇を整えれば、障害はなくなる?

環境を整えれば、障害はなくなるのか?そのときの「環境」とは何を具体的に示すのか?

段差がなくなれば?エレベーターが設置されれば?点字ブロックがあれば?手話通訳がつけば?これらは全てハード面のバリアフリーといわれるもの。ハードを整えれば、障害はなくなるのか?もし、この公式がなりたつならわりとバリアフリー社会の実現は簡単だ。

ニューヨークの地下鉄といえば、かなり古いことで有名だ。ホーム柵もなければ、点字ブロックもない。改札の横に有人改札があるわけでもなく、駅員を探すのも大変。車いすでなんて到底使えそうにないし、車内アナウンスはあってないようなもの。日本の電車のように親切な電光掲示板もない。そう、ハード面の整備は皆無といえるニューヨークの地下鉄。でも、全くバリアを感じない。なぜか。困っていると感じるその瞬間には駅員さんでもないただの通りすがりの人が当たり前のように手助けをしてくれる。例えば、白杖をもってスーツケースをもって地下鉄の階段の前にいたら、すぐに男の人が「手伝うよ!」とスーツケースを階段下まで運んでくれる。メトロカードがうまく通せずに改札前にいると、「こっちおいで」と改札となりのゲートから入れてくれる。

改めて、考えたい。ハード面のバリアフリーが整えば、障害はなくなるのか。

私は高校2年生の1学期まで健常者だった。夏休みに目の病気が診断され、2学期からは障害者となった。このとき、必死に隠していたこと、それは障害者になったということ。このとき、障害者=恥ずかしい存在、そんな存在に自分が転落したことが受け入れたくなかったのだと思う。そもそも、17歳の私は障害者と接した経験は数回しかなかった。だから、自分には関係ない世界の人間だと思っていた。

規範意識からの解放。

17歳の私を苦しめていたこと、それは規範意識。簡単にいえば、「~でなければならない」という無意識に形づくられた暗黙のルール。例えば、女性なのだから家事や育児を頑張らないといけない、男性なのだから稼いで家族を養わなければならない、男の子なのだから強くなければならない、女の子なのだからかわいくなければならないなどなど、私たちは想像しているよりもはるかに多くの「ねばならない」意識の中で生きている。当然、この規範意識があることで社会の秩序が保たれている部分はある。だが、この規範意識によって自分たちで自分の首をしめていることがしばしばあるように思う。

私は障害者になったばかりのころは、障害者であっても自立している人はたくさんいるのだから、「とにかく、なんでもできるようにならなければならない」という根拠のない規範意識の中、「できない」=「負け」だと思い必死に生きてきた。でも、よくよく考えてみれば障害者の私がどんなに頑張っても健常者になれるわけじゃない。当時の私はそんな当たり前のことに気づくこともなく無理を繰り返していた。1ヵ月に1度は39℃の熱を出す始末。

自立って一人で頑張ることじゃないんだと気づいたのは随分あとになってからのお話。東京大学の小児科医で脳性麻痺のある熊谷晋一郎先生の著書、「リハビリの夜」を読むと規範意識からの解放の大切さがよくわかる。加えて、熊谷先生は「依存先をたくさんもつ自立の形」を提案している。例えば、一人で着替えるのに2時間かかればできる、でも、ヘルパーさんに手伝ってもらえば3分でできる、どっちも結果論は「着替えができた」となるわけだが、どちらの方法で着替えるかは障害者が主体的に選択できる。私はずっと前者が自立だと思っていた。でも、人の手を借りてもいいんだよ、同じ結果にたどり着くためのプロセスは色々な方法があっていいんだよと。それから私のモットーは「楽に楽しんで生きること」。


他人事+自分事=究極のバリアフリー

究極のバリアフリーって何なのだろう、そしてそれが実現した先にはどんな社会があるのか。〇〇を整えれば、障害はなくなるのか、私は「人の意識がかわれば障害はなくなる」と考えている。私が高校生のとき、とにかく障害者になったことが辛かった。隠したかった。これには2つの背景が指摘できる。1つは、私自身の中にある「障害者への偏見・差別意識」、もう1つは「周囲の目」だ。私自身が障害者との接触経験が乏しく、障害者=かわいそうな存在と位置付けていた。つまり、私は自分がかわいそうな存在になってしまったことに嘆いていた。もし、17歳になるまでの間に、障害のある友人がいて、性別と同じぐらいの属性として障害がとらえられていたならば、あのとき、私はそれほど絶望しなかっただろう。もう1つは「周囲の目」なわけだが、あの当時、クラスの友達は奈良の異変に気付いていたはずだ。しかし、私からは何も言わなかったし、彼らも聞いてくることはなかった。まさに、腫れ物に触れるかのような扱いだった。周囲はそうしていなくても私の心が敏感でそう感じていただけかもしれないが。大学に入ったとき、ある学生が「奈良って目、見えにくいの?」と聞いてきてくれたことがあった。数年間、ずっと、誰にもいえずにいたことを、「なんの食べ物が好き?」みたいな感覚で聞いてくれたことに嬉しくて、初めて自分の障害のことをちゃんと伝えられた。まだまだ、障害のことはタブー視されていて、積極的に聞いてよいことではないと感じている風潮がある。これがかわっていくと、私たち障害者も、そして、私たち障害者に触れる周囲の人も生活がしやすくなると思う。

そして、障害をはじめ、様々なマイノリティ問題を他人事として捉えているうちは人の意識の深化は実現しない。他人事が自分事として捉えられるようになったとき、初めて思いやりの気持ち、つまり、相手の立場にたって考え、行動ができるようになる。例えば、私の授業では、「もし、あなたの赤ちゃんに目玉がなかったら、あなたはどう思いますか?」という問いかけをする。この授業を受けた学生の多くは、「これまで社会福祉や特別支援教育を学んでいて将来障害者に関わる仕事をしたいと思っていたけど、自分の子どもに障害があるかもしれないという可能性を考えたこともなかったので、自分や自分の子ども、親等が障害者になるかもしれないということも考えて授業を受けたいと思いました」と、授業を受ける視点が他人事から自分事へと転換する。障害者問題だけではなく、ありとあらゆる問題においてこの視点を変えることはとても大切。例えば、いまだにすすまない父親の育児休業取得。産後の傷だらけの体で赤ちゃんを育てることの大変さを知らないから、「繁忙期だから休まれると困るな~」なんてのんきなことが言えるのだと思う。逆に、私も自分が出産を経験していなかったら安吾の大変さはわからなかったと思うし、そんなこといっても、みんな大変な中やっているんだから頑張りなよなんて心内言葉をかけてしまうかもしれない。みんな自分の経験していないことはわからない。


だからこそ、当事者参加が必要。

「私たちのことを私たち抜きで決めないで」、障害者差別禁止条約が作られるときに掲げられた有名なスローガンだ。私はこの言葉に全て集約されると思う。例えば、コロナ禍でテレワークが推進され障害者の雇用の可能性が広がっている。確かに、ある障害者にとってはテレワークは適しているのかもしれない。ただ、そうではない障害者もいる。ワクチン接種も同様だ。色々なところで不備が指摘されている。もし、ワクチン接種のオペレーションを決める段階で障害者や高齢者の当事者が参画していたら、「インターネットだと予約がとれない」「接種兼が郵送されてきても見えないから視覚障碍者には電話か郵便物に工夫が必要」など、運用開始前に合理的配慮を検討できたはず。当事者参加については、日本はまだまだ発展途上。出る杭はうたれるという風土もあいまって、先陣を切って出る杭になろうとする人は少ない。

究極のバリアフリーを実現するためには教育が大切。

人の意識の深化、それを実現するのは教育だ。ここでいう教育とは何も学校教育だけではなく、広く一般市民に向けた教育も含む。学校教育に限っていえば、以前の私のように障害者=かわいそうな存在と思っている教師が子どもたちに障害者理解の授業をしてもあまり意味はないだろう。むしろ、子どもたちの学びの場に自然な形で障害のある子どもがいることで、彼らが大人になったとき、他人事を自分事に視点を切替られる人材になるに違いない。大阪の豊中市はもう40年以上このような取り組みをしていて有名だが、残念ながらそういった流れは全国へ広がりをみせない。むしろ、いまだに障害者が地域でともに育つことに乖離的な意見も根強い。教育の効果はすぐには表れない。だからこそ、50年後の日本の未来を描いて今私たち大人が行動すべきなのだと思う。




#日経COMEMO #究極のバリアフリーとは

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