今まで自分は特別だと思っていたけど、ほんとはそうでもない、話。

自分が思い描きいっていた生活に、自分そのものがそうなった時
実際の当事者である私は感触が何もない
そんなもんなのかも。と思った。

何かに恋い焦がれている
恋い焦がれ続ける人生は、満たされていない人生だと言えるのだろうか
何かを追い求めて恋い焦がれ続けること
明らかに今の私はもうその次元には戻れないような感覚が自分でもしている。私はこれから自分が向かう先を失ってしまって、私は私が今ここにあることで満足している私を見つけてしまったからだ。

はじめて見つけた時は、とんでもなく毎日が幸せだった。

しかし、それは今となっては、その感動は、すでに普段の日常の中に紛れてしまい、それを味わい続ける事はできなくなってしまった。
その中でもう一度私は忘れてしまった、慣れ切ってしまった、感動を手に入れるために歩き始めることができるだろうか。

この世界の辺縁に入れば、不思議な人なんてごまんと出会う。
自分の話をすれば珍しい人だねと言ってくれたとしても、その話を聞いてくれる、その本人も面白いストーリーを持っていて、別に自分は何一つ特別では無いこと、それが、私の存在意義を問う疑問詞を心の中に生む。

私は私自身、唯一無二であり続けること、それにこだわって生きてきたような生き物だから、唯一無二でありながらも他の人が唯一無二であること、
そうであることが気になるのだ。常にどこにいても特別扱いされたいと言うある意味で自意識過剰の意識が私の中にはある。
それをすてる時。

私は普通でも特別でも何でもない。そんなことを思う。
気にせずに生きていきたい。
気にせずにそうであることを社会でそのままでいたい。

私の心の移ろいは、つまりはそういうことだと思う。

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