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言語化する際は感情的な言葉を避けている

 私のnoteはひたすら自分語りです。自分の内にある思考や感情といったものを言語化することが主な内容です。目的としては自分が自分を理解するために、言葉になっていない思考や想いを言語化し、可視化することで自分自身への理解を深めたいからです。

 そうした私の言語化において、一つ私が気を付けていることがあります。それは、「言語化する際は感情的な言葉はなるべく避ける」ということです。

 実は、私が言語化する際に感情的な言葉を避けるように気を付けていたのは自覚的ではありませんでした。
 私のnoteにおいて、コメントでたびたびいただく評価として「冷静」や「淡々と」といったものがありました。それらの言葉をいただき、自らを内省してみた結果、この「冷静に書く」や「淡々と書く」といったことは私があえて行っているものだということに気づいたのです。

 
 読んでいる方に伝わっているか分からないのですが、私は感情が大きく動くような内容であればあるほど、言語化する際に冷静に、淡々と書くようにしています。なぜそのようにするのかというと、私にとって言語化という行為は、感情が大きく動くような自分の内にある「何か」を鎮静化させる意味合いを持つからです。

 なぜ私は感情が大きく動く状態を鎮静化させようとするのでしょうか。それは、感情が大きく動く状態というのが私にとって「苦しい」状態だからです。
 怒りであれ悲しみであれ、そうして感情が大きく動く状態は、身体的にも疲れます。心拍数が上がり、体温が上がり、身体もこわばり息も浅くなります。頭もそうした感情に占められて他のことを考えることができません。やらなければならないことに手がつかず、現実的に困る状況に陥ります。そのため、私としては一刻も早くその状態から通常状態に復帰したいわけです。通常状態への復帰の方法が、私にとっての言語化(=note)です。そして、私の場合は言語化の際、感情的な言葉を使ってしまうと、通常状態への復帰が逆に困難になるのです。
 みなさんも経験があるかもしれませんが、怒りや悲しみなど大きく感情が動くとき、その感情に任せて激しい言葉を使うとその怒りや悲しみがより大きくなることがあります。
 鎮静化させるために言語化しているのに、激しい言葉を使ってしまうと感情がより大きくなり本末転倒になるので、言語化の際には感情に任せた言葉ではなく冷静な言葉を淡々とつづるようにしています。

 余談ですが、私にとっては「嬉しい」「楽しい」といった感情も大きくなると「苦しい」と感じられます。こうしたポジティブな感情も大きくなれば心拍数は上がり、体温は上がり、息が浅くなり、身体的に苦しくなります。また、頭の中はそのことでいっぱいになって他のことが考えられなくなります。つまりネガティブな感情に大きく動揺した時と同じ状態になります。そのため、ポジティブな感情でも大きく感情が動いた時は言語化をすることで鎮静化させることを試みています。

 
 それでは、言語化することでなぜ私は心を鎮静化することができるのでしょうか。端的に言うと、感情や情動を言語化することによって明瞭に捉えることができると、それらが穏やかなものに変わるからです。
 私にとって感情・情動といったものはそれがなんであるか不明瞭で、モヤモヤした状態であればあるほど私に大きく影響を及ぼします。しかし、それにしっかりと向き合い、丁寧に言語化していくと、その感情や情動といったものは穏やかで落ち着いたものに変化していきます。それは、灯りのない山の中にいると見えない状況が恐怖をどんどん増していきますが、ひとたび灯りがともされて見えないところがなくなると恐怖が落ち着いてくるのと似ています。自分の感情を揺さぶるものがよく分からない状態だと非常に動揺させられますが、言語化することでそれを明瞭に知ることができるようになると、もはや動揺することはなくなるのです。
 感情的な言葉を使ってしまうと、相手を明瞭に知ることができなくなる感じがします。そうした理由もあって、私はなるべく冷静に、淡々と言語化を試みるのだと思います。


 言葉の使い方一つで、自分の心に与える影響が変わるのは、面白くもあり、気を付けないといけないことであるとも思います。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!