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創作の三つの形

 どういう話の流れでその話題が出たか忘れてしまいましたが、先日の松葉舎の授業で創作するときの類型について話がありました。

 一つは「こういう作品を作ろう」と予め計画し、考えてそれを形にするやり方。
 もう一つは作品を作りながら、作られた作品からフィードバックを受け、作品の方向をその都度模索していくやり方。

 この二つは創作全般に対して話されたことですが、私はこれらを小説の書き方の類型として聞いていました。
 一つ目の書き方はいわゆるプロットを作って書く小説の書き方です。予め物語のあらすじや展開や結末を考えてから書き始める書き方です。
 この書き方で想起するのは私がフォローしているnoterさんで高山 桃さんという方です。

 その方が今書いている「幕末堕天譚」という小説はプロットを作ってから書いたそうです。


 もう一つの書き方は、書き始めは結末などは考えておらず、筆を走らせていって筆に結末を任せる感じでしょうか。私は小説を書かないので書く方の感覚は分かりませんが、書き始めたら執筆者本人の想像していない結末につながることがあるそうです。

 この書き方で想起するのは青豆ノノさんというnoterさんです。
 御本人の小説の書き方について言及した記事はありませんでしたが、コメント欄での返信などで書き終わったらこんな結末になりました、というような回答をしばしばされているので、おそらくプロットを立てずに作品を書かれているのだと思います。

 ただ、全ての作品においてプロットを立てていないのか、プロットを立てて書かれている作品もあるのか、私は把握しておりません。


 さて、そんな風に松葉舎の授業で出た創作の二つの類型について、私なりに作家さんを思い浮かべて理解しておりましたが、私はそこで出た二つの類型とは違った創作の仕方も思い浮かびました。
 それはこういう逸話と共に思い浮かびました。
 どこで聞いた話か忘れましたが、ある高名な仏師が木を彫って仏像を作るとき、どのようにして仏像を作っているのかというと、「こういう仏像を彫ろう」とイメージして、そのイメージに従って彫るのではないのだと言います。そうではなくて「木の中に仏さまがいて、それを掘り起こしているだけだ」というのです。
(ちなみにこの話をしたところ、塾長の江本さんからそれは夏目漱石の『夢十夜』に出てくる運慶の逸話だろうとのことでした)

 これは、前二者のどちらにも当てはまらない創作の在り方です。
 一つ目の「こういう作品を作ろう」という創作の仕方ではありません。その作り方でないことは初めからこの仏師が言っています。もう一つの「結末は分からないけど作り始めて作っていく過程でフィードバックを得ながら方向を定めていく」創作の仕方でも無いです。なぜなら、「掘り起こす」と言っているように完成した像(結末)は決まっているからです。仏師が「決めている」わけでは無いですが、「決まっている」ので、二つ目の創作の仕方でもありません。
 だからこの創作の仕方は第三の創作のやり方なのです。

 
 私は自分がもし創作をするなら、この第三の創作のやり方をしてみたいなと思っています。第三の創作のやり方は自我(エゴ)が介入しない極めて仏教的な境地の創作に思えるからです。この逸話自体、仏像を彫る仏師の話ですしね。いわゆる「無我」の境地での創作に思えます。

 しかし、これを文章において行うにはどうしたら良いんだろう、と思うとちょっとイメージができません。
 この逸話のように彫刻であるとか、あるいは絵画や音楽でも良いのですが、非言語の創作活動においては、この創作方法はできるのではないかと思います。それらの創作活動を私がしたことがないので、あくまで印象で「できるのではないか」と思っているだけですが。
 しかし、文章での創作活動、小説でもエッセイでも論考でも良いのですが、言語を用いた創作活動で第三の創作方法を用いるのは非常に困難な気がします。

 言葉というのは概念的、思弁的な領域のものです。彫刻などの創作であれば、身体的・物理的領域の創作なので、自我エゴを通さずに創作することは可能なように思えます。しかし、言葉を使う概念的・思弁的な領域においては、言葉を使うと言うこと自体に自我エゴが必ずまとわりつくので、言葉を使って無我の境地で表現するのは困難なように思います。
 実際、私がこうして書いているような記事を第三の方法で書くのはどうすれば良いか全く分かりません。

 一つ、可能かもしれないと思う創作の形は、詩です。あるいは俳句・短歌・長歌もそうかもしれません。必ずしも明示的な意味を伴わない言葉を使って、リズムや韻を用いて表現するような形の詩や俳句であれば自我エゴの関わりを極力減らして創作することが可能かもしれません。そうすれば、無我の境地から創作することも可能かもしれません。まあ、やっぱり私には創るのは無理そうですが。


 私が憧れるものは自分ができないものばかりだなぁと思いつつ、創作の三つのやり方について想いを馳せました。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!