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暗い人が好き

 私は暗い人が好きです。明るくて元気で溌溂とした人も素晴らしいと思うけど、わざわざ友達になりたいとあまり思わないです。
 それより、暗くて陰気で、まとっている空気がじめじめしてそうな人の方が友達になりたいと思います。そういう人の出口のない愚痴を延々と聞いてたい。 
 多分わたしの性根が暗いからでしょうね(笑)自分が暗いから、似た空気を持つ暗い人と一緒にいる方が安心します。

 ただ、暗い人と言っても、表面上暗いかどうかは人によります。
 私もあまり深くない付き合いの人には暗いと言われることはあまりないです。むしろ明るいとか、自信を持っているように見られがちです。
 同じように、私が好きな「暗い」系の人も、表面上暗いかどうかは別です。私と同じように表面上明るくて、常にテンション高めに見えても、ちょっとその奥を覗けば深淵さんが「こんにちは👋」している人もいます。というか、たぶんそういう人の方が多いです。
 人間は社会的な動物なので、社会的な関わりを保つために常に「暗いモード」でいるのは不利ですから、そういう振る舞いを学習する人が多いのでしょう。

 じゃあ私が感じる「暗い」というのはどういうことなんだろうと考えたところ、それはおそらくその人が「苦しみ」に向き合ってきたかどうかによるんじゃないかと思いました。
 その人の家庭で苦しいことがあったとか、社会との関わりがうまく行かずに苦しんだとか、自分の中に出てくる自己否定の感情をうまく処理できず苦しんだとか、そういった苦しみを自覚し、なんとかしようとあがいている、あるいはあがいたことがある人が私にとって「暗い」と思う人かなと思います。

 かつて苦しんで、その苦しみを何らかの形で乗り越えた人は明るいことが多いです。吹っ切れたことによる明るさもあるでしょうし、乗り越えることによって身についた自信もあるでしょう。そうした要因から、外からは明るく見えます。
 でも、そういう人は過去苦しんだときの自分を忘れているわけではないし、現在苦しんでいる人の苦しみも分かるし、苦しんでいる人たちのの苦しみを和らげたいという心もお持ちなことが多いです。
 私はそういう人も「暗い」のカテゴリーに入れている気がします。こういう人は一般的には「暗い」と言われる人たちではないですね。

 ただ、人間生きていて苦しみを全く抱えていない人はいないと思うので、私のカテゴリーによれば全人類みな「暗い」ということになりそうです。それはさすがにちょっとおかしいのでより詳しく考えてみると、自分の苦しみに対してどの程度向かっているか、ということが関係しそうです。

 例えば、自分の「苦しみ」を自覚できていない、あるいは向き合って来てない人たちは私の分類でいう「暗い」人には当たらないように思います。
 そういう人は、苦しみが生じてきても、刹那的な享楽(友達と遊ぶとか)で苦しみをやり過ごすことがあります。それは苦しみに対する一つの対処法なのでそれはそれで良いのですが、そういう人は自分の苦しみに向き合った経験が無いので、たぶん私とは話が合わないだろうなと思います。
 そして、苦しみをやり過ごすことができなかった人は、結局自分の内にある苦しみに向き合うよりほかありません。この「結局自分の内にある苦しみに向き合う」しかなかった人が、私のいう「暗い」人に当たるように思います。
 そして苦しみに向き合う時は大体一人の時なので、「暗い」人は自分一人の時間を大事にしている人、と言えるかもしれません。

 こう考えると、私の「暗い人」というイメージには「内向的な傾向がある人」という要素があるようです。社交的な人は私の「暗い」には入らない気がします。

 ここまで書くと、私の「暗い人が好き」というのは「苦しみを抱えている、または抱えていた人で、内向的な傾向がある人が好き」という風に言い換えられるようです。なるほどーそんな人が好きなのね🤔

 今回はnoteの記事を書きながら自分の心を探ってみました。結論を先に出さずに書きながら探っていったので、読みづらかったかと思いますが、私はなかなか面白く書けました。これからも時々やってみようかな。


 本日は以上です。最後まで読んでくださりありがとうございました!
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