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NARUKAMI Notes 007 東京都同情塔

九段理江
『東京都同情塔』
新潮社, 2024.1

サイバーパンクだな。これは。
ギブスンの『ニューロマンサー』(近未来は退廃的だ)、攻殻機動隊なら押井守の『GHOST IN THE SHELL』(アーガーマエバーは絶対合う)、『AKIRA』も少々(東京オリンピック?中止だ中止)。
舞台は今よりほんの数年先の日本だが、近未来的な高揚感がある。もっとも新国立競技場が隈研吾ではなくザハ・ハディドの設計だから、我々では到達できない別の世界線の未来だが。

サイバネティクスによる義体化はサイバーパンクの定番だが、この作品では言葉の義体化が描かれる。AI-buildによる文章作成。人々はより多くの言葉をより早く生み出す力を得ていて、書類仕事の大半を任せてしまえる。これは本当に欲しい。
しかしながら、作品内で最も目立ったAI使用法は、言葉が「適切かどうか」のチェックするというものだった。「不適切さ」はネットに棲む幾万の人々の目に監視されているから、発言をする際は身を守るためにはAIに検閲させ、安全すなわち「適切さ」を確保しなければならない。攻性防壁で脳ミソは焼かれないけど、誹謗中傷で心は壊されるし、立場ある人間であれば様々なものを失って不利益を被る。テクノロジーの上にヒトのカルマが乗っかっている。このしょうもない無駄遣い感もサイバーパンクだ。

書き出しの一節もまたサイバーパンクに見られる哲学的な示唆を大いに含んでいる。
技術は進歩してもそれを使いこなす人間自体は進歩せず、多様性を認め合うことを推し進めた帰結として分裂し、互いの言葉が通じなくなる。テクノロジーがそれを加速させる。

一見オーウェルの『1984』のようなディストピアのようにも見えるが、閉塞感はない。登場人物たちの世界に対峙し続けようとする姿が解放への希望を生み出している。これもまたサイバーパンクである。

第170回芥川賞受賞作品

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