【映画感想122】バグダッド・カフェ/ パーシー・アドロン(1987)

大人になって知るコーヒーの苦み

■自己紹介■

あまりにもなさすぎる語彙力をなんとかするために200本目指して週2で映画感想を書いています。今回は「バグダッド・カフェ」を観ました。

■あらすじ■

荒野のモーテルにある寂れたカフェ。
コーヒーマシンは壊れ、閑散とした店内ではピアノが同じ旋律を繰り返し、住人の心は擦り切れていた。ある日やってきたひとりの女性客をきっかけに、止まっていた時間がゆっくりと動き始める。

■感想(ネタバレあり)■

①やっぱり色と音楽が最高の映画

小学生くらいの時に見て、冒頭でコーリング・ユーが流れるシーンが大好きだった映画。
30代になった今もう一度見てみました。

(大学生の時にも野外映画祭で見ましたが、「砂漠のど真ん中のカフェの映画を、都会という名の砂漠のど真ん中にある公園でやるってこと〜!?おしゃれ〜!!」と思って意気揚々と向かったら脱落者が続出するくらい極寒の中での上映だったので記憶がほぼありません。コーヒーは数秒で冷め幼子は泣き出し、わたしは後日高熱を出しました)

今と昔で感想が結構違うのですが、画面全体のフィルムカメラのような、くすんだオリーブグリーンの色味がやっぱりきれいでした。落ち着く。そして冒頭は特に色味が少ないので、ポットの鮮やかなイエローが映える。

昔は気づかなかったけど、ブレンダとジャスミンが初めて対面するシーン、ピアスと靴下だけ鮮やかな赤色が入っているんですね。2人とも同じように傷を抱えているということを暗示してるみたいで、和解?したあとは砂漠に花が咲くように黄色が増えていくのも印象的でした。

ところで終盤に出て行く彫り師のデビー、スカーフと荷物にも赤っぽい色が入ってた気がします。意図的にやってるなら彼女も何かを抱えた人間ということなのでしょうか。黒い帽子も、基本的に白い服のジャスミンと対照的なのが気になる。彼女については1番好きなキャラクターなので後述します。

②心を開くのには時間がかかる

小学生でみたとき、確か終盤に急に大円団になる所が正直ついていけなかったのですが、30台を過ぎて見返して感想が変わりました。
この映画は悲しみの解像度が高い。

冒頭で何の前触れもなく空き缶を拾うブレンダが急に泣き出すシーンを見て思い出したのは、新卒で入った会社でいろいろ限界だった時、廊下で転んだだけで糸が切れたように泣きそうになった瞬間でした。

もういっぱいいっぱいで常に張り詰めてる状態はコップに並々水が入ったようで、些細な刺激でなんかもう理由もよくわからないままに溢れて垂れ流しになる感じの涙の流し方、わかるなあ〜〜〜と思ってしまいました。

そしてブレンダがすぐに前向きになるとかじゃないのが良い。大事件が起きるとかではなく変化はゆっくりで、ブレンダとジャスミンがまともに視線と言葉を交わすのは映画の3分の2を過ぎたころ。

立ち直るまでの過程をゆっくり丁寧に描写しているので、立ち直ってからが早足になるのはしょうがないんじゃないかと思います。

③壊れたままでいてもいい

そして、物語終盤、「仲が良すぎるわ(too much  harmony)」と告げて立ち去ってしまう彫り師のデビー。繁盛したカフェの方が客入りは良いはずなのに、それにも関わらず出ていく。ハッピーエンドに冷や水をぶっかけるようなシーンが初見の時も妙に印象に残っていて、20年後に見返してとやっと理由がわかりました。

もし彼女も何かを抱えていたとすれば、彼女は唯一ジャスミンによる「癒し」を拒否した人間である。

なんで拒否するんだって感じなんだけれど、
疲弊し切った心には好意であれ善意であれ、いかなる刺激もしんどかったりするということがアラサーになった今なら分かる。
個人的にこの拒絶シーンがあるのは、
「立ち直ってほしい」「どしたの?なんでも話してよ!」という励ましの無遠慮さ、準備運動ができていない人を冷たいプールに突き落とすような無邪気な残酷さをわかってくれているようですごく良いと思うのです。

ジャスミンの掃除に激怒したブレンダはこれを知っているはずなんだけど、すっかり立ち直った状態では忘れてそうな雰囲気があります。
なんなら「昔はわたしも辛かったけどね…今はすっかり元気よ!あなたも大丈夫よ」とかすっごい眩しい笑顔で言っちゃいそう。

笑顔でハッピーで周りの人を愛することが「正常」な状態であるとするなら、修理が必要なコーヒーマシンのような人々がこの映画にはでてきます。しかしながらそのすべてが修理されることを望んでいるわけではなく、デビーのくだりはなんだか「やりたくないなら心を開かなくてもいい」という優しさに似たものを感じました。別に壊れたままでいることを望んだっていいのだ、という。


デビーは言葉通り単純にアットホームな空気が嫌いというだけで、監督は「予定調和」なハッピーエンドに対するアンチテーゼとして登場させただけなのかもしれません。しかしそれでも、周りが良しとするモノに対して「わたしに合わない」と言ってしまえるこの強さがわたしは好きです。彼女はまた壊れかけた場所を選んでタトゥーを掘り続けるのでしょう。

幸いこれは映画なので、わたしたちは引っ越しをせずとも壊れたマシンと進まない音楽、すべてが停滞したカフェの中にいつでも帰ることができます。

画面に映るのは自分と同じかそれ以上に疲れ切った女性たちで、彼女たちをコーリング・ユーの音色が西日のように柔らかく包む。

もう前向きになる映画を見る気にもならないくらい疲れた時にまたふらっとみたいな〜という映画でした。



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