日々の生活と僕の海外旅行について

僕の海外旅行の話をすると返ってくるリアクションは「スリルがある」とか「ハラハラドキドキする」が多い。

ふと、帰宅途中に考えてみた。

僕は何故、海外旅行に行くのか

海外旅行は好きだし、知らない物や土地にを歩いて発見して見つけることがとても好きだ。
ただお金が無くて、格安航空券で格安宿に泊まっているだけだ。
深夜徘徊や変な場所にも行くけれど。

日常生活で身の危険を感じることもない平和な日本。
ルーティーン化してしまった日常。
お金が無くなっても、生活の質を落とせばきっと生きていける(と思うw)
母国語の日本語に囲まれた日本で育ち、不便のない東京に暮らし、

きっと僕は、この平和で安全で身の保証をされた日常生活に飽きているのかもしれない。

海外に行けば、不自由さしかない。

ほとんど理解してない言語が飛び交い、表示されている国で、
スーパーに行けば知らない言語で書かれた商品がたくさん並んでいる。
同じ値段で同じ要領の水の違いすら分からない。

この道を曲がった先に何があるかなんて分からない。
あの店らしきなにかは何だろう。

海外ではお金を払えば食べ物は手に入る。
だが、そのメニューですら、どんなものが出てくるか知らない。
日々の食事すら、理解して確保することが難しい。

何も分からないのだ。
言葉も食べ物も場所も。

ネットを使えば知らない情報なんていくらでも知ることが出来る。
ただ、それはあくまで机上の理解なんだと思う。

スペインでピカソのゲルニカを見た。
教科書なんかで見ていたから、この絵はどんな絵なのかは知っていた。
ただ実際に見たとき、まず絵のサイズに圧倒された。
A4の教科書に縮小されて載っていたゲルニカの実物はこんなにデカいのかと。
こればっかりは自分の足で歩き、目で見るしかない。
これが「実体験」の真髄。


日常生活において、好奇心に導かれるまま生きることは無いと思う。

ただ僕の海外旅行は好奇心がすべてだ。
好奇心の言われるままに歩いていく。


僕はそんな不便で知らない世界を生き抜いて帰ってきたという変な達成感が好きなのかもしれない。

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