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すなおな もの

 澄んだ青い空が高々とのぼっていくようであった。背に触れる髪は風にゆれることもなく、歩くたびに少しばらついては、元の位置に収まって、特になんの影響もない。
 
 日が冴えている分だけ暖かみも感じ、時期だけ考えればむしろ暑さを覚えるくらいであった。

「ちょいとそこなお嬢さん、少しいいですか?」 

 横から声がしたと思ったら、いつの間にか帽子を脱いで深々お辞儀をしている人がいた。思わずびっくりして立ち止まる。

 私が立ち止まったのを見てその人は顔を上げる。そこには、笑顔の似合う老紳士、とでも表現するべき方が私を見つめていた。

「……えっ、と。なんで、しょうか?」

 本来なら無視して行ってしまうほうが賢明なのかもしれないが、そんなことできずに返事をしてしまう自分に嫌気が差す。

 老紳士は帽子を被り直すと、ありがとうございます、と丸い眼鏡の位置を調整している。それがまた、なんとも怪しさを覚えた。

 こんなところではなんですから、とすぐそばにある公園に誘われる。のこのこついていっては、ベンチに座ってしまう。

「申し訳ないです。こんな見ず知らずの怪しい老人についてきてくださって、感謝いたします。お嬢さんのような方にお願いがあって色々な方にお声掛けしていたのですが…‥、本当に、ありがとうございます」

 やっぱり、私の選択は間違いだったであろうか。
 その多くの方のように、去ってしまうほうがよかったであろうか。しかし、
 
「実は、私の猫を、探してほしいんです」

 その言葉に面食らった。あまりにも予想外のことで、拍子抜けしてしまった。

 心配しすぎていた分一気に力の抜けた私は、はぁ、としか答えられず、うまく思考も回らずに老紳士の言葉を待つ。

「この辺にいるはずなんですがね。今の私ではなかなか骨が折れまして。お嬢さんくらいの年頃の方によく懐くので、探していただけると助かります」
 
 はぁ、と再び気の抜けた返事をすると、その猫の特徴を話し始めた。けれど、正直ちゃんと見分けがつくかも不安であったし、よしんば見つけたとしても、捕まえられるか自信がなかった。しかし、そうした心配をよそに、大丈夫ですよ、とやわらかな声色を放つ老紳士はすでに安堵の表情を浮かべているようにすら思った。

 とりあえず、公園内とその周辺のみの散策を伝え、見つからなければ申し訳ない、と伝える。

「はい、そちらで大丈夫です。どうぞ、よろしくお願いします」

 私はその老紳士をベンチに残して探しに出かける。

 どうせ見つかりっこあるまい、適当に散策して、いませんでした、と伝えよう。

 そんなふうに思っていた私の目論見は、見事に崩された。存外、あっさり見つけてしまったのだ。

 初めは自分の目を疑った。けれども、見ているうちに聞いていた特徴通りの猫に間違いなく、見つけてしまったからには捕まえなければいけない。

 私くらいの年頃の子が好き、というのは嘘ではないようで、そんなに警戒心を持っているようには思えなかった。というより、猫のほうから近づいてきた。そうして適度な距離で びたっと 立ち止まると、上目遣いに見られながら、

「なぜ私を捕まえようとしているんだ?」

 そんなことを問いかけられた。私はすぐさま、頼まれたから、と答えようとしたけれど、その前に ふん と鼻を鳴らして

「大方、あのじいさんに頼まれたんだろう。まったく、お人好しだな」

 ずいぶんとした言い草だな、と思ったものの、その通りなので何も言い返せない。

「えっと……その、逃げてきたんですか?」

「なんだお前、自分に自信がないのか? 敬語なんぞ使いよって」

 質問には答えず間をおかずにそんなことを言ってくる。本当、大柄な猫なんもんだ。

 猫は何やらたいそう怒っているように見えた。私はあんまり刺激をせずに目線を可能な限り合わせて、話しを聞いてみることにする。しかし、猫はそれ以上喋らなかった。

 手を差し伸べてみると、先ほどとは打って変わって甘えたような声を出しながら すりすり 頬を寄せてくる。ちょろい猫だな、と思いながらも、そのかわいさに身を任せてくるその姿が愛らしくもあった。

 私は猫を抱き寄せると、腕に抱かれながらおとなしくしている。その様子に自然と笑みが溢れると、老紳士の待つベンチまで向かった。

「おや、見つけてくれましたか。いやぁ、本当、ありがとうございます」

 老紳士が差し伸ばした手に猫を引き渡すと、穏やかな笑みを浮かべながら猫を見つめ、何度も頭を下げてくる。私は恐縮してしまって、大丈夫ですよ、と伝えた。

「ところで、こいつはなんか言ってませんでしたか?」

 と聞いてくる。

 私は、

「にゃあ、って、かわいい声をかけてくれましたよ」

 とだけ伝えると、老紳士は何にも言わずにただ穏やかな表情を浮かべ、

「……そうですか。本当、助かりました。このご恩は忘れません」

 と再び頭を下げて、去っていった。

 先ほどの猫の言葉を思い出しながら手を振り、その背を見送る。また逃げていくのかなぁ、とも思いながら、実際のところはどうだったのであろう。その言葉と様子を見比べながら、私には判別がつかなかった。

 どちらにしても、私は、私自身の未熟を痛感し、それだけがこの場に残されてしまったかのようであった。

 その言葉を反芻するようにーー無理やり飲み ごくん 大きく喉を鳴らす。

 そうしてまた、きっとあの猫に出会ったときに、どんな言葉をかけられるのかを想像しながら、公園を去った。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。