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それは、無駄なことかしら

 どんなに心をなくそうが、どんなに心を入れようが、時間は同じように過ぎていく。

 何をしていようとも、何もしていなくても、同様に。

 そうして、変わっていく周りの状況や私の体の中に、無駄なものなんてきっと、本来、ひとつもなくて、あるのはただ、過ぎ去っていく、ということだけなのだろう。

 それはまるで川の流れのようで、見た目は同じでも、流れていく水は常に違うように、その姿は一定ではない。

 社会、というものに当てはめ、そこに効率や生産性、発展、向上、などなど、それらを加味したときに、無駄、というのも同時に生まれるのだろう。

 それは命を守るために、必要なことでもあるのだろう。生きものとして、生きものとして。

 私は? それなら、私は?

 いつ、死んでもいい、って、思っている、私は?

 無駄なことなんて、あるのかしら。
 意味のないことなんて、あるのかしら。

 そもそも、意味なんて、あるのかなぁ。

 私がここにいる必要も、意味も、ないのではないだろうか。

 そんなことしか頭に浮かばない、考えられない。

 何をしても、何をしなくても、何にも変わらないのなら、私なんて、必要ないのだろう。

 いても、いなくても、変わらない。

 それでも、まだ、こうして、息をしている。息をして
血が巡り、体は動く、思考は動く。そのためにただ、生きている。

 川と同じで、何にもしなくても、流れているものは常に違う。変化している。知らず、知らず。

 自分のことなのに、何にもわからない。

 死にたい、なんて思っているわけではない。
 生きたい、なんて思っているわけではない。

 死ぬ理由もない、生きる目的もない。

 ただ、まだ、呼吸している。

 いつか、死ぬために、ただ、そのために、生きている。

 それは、無駄なことなんだろうか?

 本来、無駄がないのなら……というより、無駄というものは、無駄だと決める自分の心、であるならば、それを決めるのも、私自身、なのだろう。

 人から何を言われても、関係ない。

 それなら、無駄なことなのだろうか?

 未だ、決められない。


いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。