自分の想いを持つ
人と人とは、相容れないものなのであろう、か。
自分と異なる、考え、思考、思想、動き、その他種々なもの、こと。
それに相対したとき、どんなことができる? どんなことをする?
それが、自分が信ずるものとかけ離れていたとき、どんなことができる? どんなことをする?
相手を矯正するだろうか、否定、批判、するだろうか、受け入れるだろうか、受け入れた上でこうではないかと伝えるだろうか。
私は、何も言えず、ただ、見ているだけであった。
もう、すべてがどうでもよく、なんでもよい。
それでもなお、このイライラはなんだろう。
私には、苛つくようなそんな資格はない。何にも言わないのだ、肯定も否定もしていない。そんな人が何をしていいわけではない。
自分の想いをしっかり伝えなければ、何にも変わらない。
侵略されていくようなこの感覚を持ちながら、何にも伝えないのはなぜだろう。
人と人とは相容れない存在? そんな高尚なことを口にできるほど、私は何かをしているだろうか?
ただ、傍観しているだけだ。
伝わるはずがない、届くはずがない、そんなふうにして、諦めてしまっている、だけだ。
伝わらない、と勝手に嘆き、何にも伝えないで、腹の底でイライラしているだけでは、何にもならない。
それよりも、伝わるかどうかはたしかにわからないものの、自分の想いをたしかに持って、それを表明し、表現し、伝えようとすることそのものが、大切なことのように思う。
伝わる、伝わらない、ではない。私はこうである、と伝えること。
それはたしかに怖いことではあるけれど、ぶつかることもあるかもしれない、けれど。自分の想いを持って、そのために行動すること。それは、とても大切なことのように思う。
私に、それだけの力はあるであろうか。
あるか、ないか、よりも……なんていう言葉だけが繰り返し、繰り返し、溢れてくるけれど。
ふぅ
ため息をつきながら、天を仰ぐ。
そこから降りてくるか細い光が、私の弱々しい足取りを照らしてくれている。
どこに向かえばいいのか。
それは、私にしか決められない。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。